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【日印国交70年】女性の社会進出にも貢献デリーメトロ、建設費半分は円借款

日印協力のシンボルがインドの首都ニューデリーを貫いている。2002年12月に運行を始め、今月で開業20年を迎えたデリーメトロ(都市鉄道)だ。計12路線286駅があり、通勤や通学など1日当たり約506万人(19年)が乗車。女性の社会進出にも役立っている。全長は約390キロメートルに達し、日本の東京メトロ(195キロ)と都営地下鉄(109キロ)の合計より長い。実はこのデリーメトロ、総事業費約1兆7,377億円(進行中の4期工事を含む)の5割弱に及ぶ約8,251億円は円借款で賄っている。【鈴木健太】

2022年12月で開業20年を迎えたデリーメトロ(JICA提供)

「女性専用車両は毎日使っているし、駅のホームには男性と女性の警備員がいる。メトロが一番早く、一番安全」——。デリー首都圏(NCR)に住む女性会社員、プリヤ・クマリさん(35)はNNAの取材に対し、そう答えた。
12年12月のレイプ殺害事件をはじめ、女性のバス移動は不安がまだまだ残るインド。デリー首都圏の女性にとって、メトロができるまでは安全・安心な交通手段がなく、自宅から遠い場所でなかなか働けなかった。プリヤさんは日々、デリーメトロに片道50分乗車し、勤務先に通勤している。
プリヤさんの家族もメトロ通勤に安心感を持っているといい、ブリヤさんは「デリーで働く女性の増加に役立っていると思う」とコメントした。
■計画、90年代に動き始める
デリーメトロの建設計画が本格的に動き出したのは1990年代。この頃の都心移動はバスや自家用車が中心で、人口増と車の普及を背景に、渋滞と排ガスによる大気汚染が今以上にひどかった。
95年5月、インド政府が50%、デリー政府が50%を出資し、デリーメトロ鉄道公社(DMRC)を設立。97年2月には、デリーメトロ事業で最初となる円借款契約に日本とインドの代表者が調印した。
建設工事は98年10月に始まった。建設コンサルティング会社パシフィックコンサルタンツインターナショナル(PCI、08年8月にオリエンタルコンサルタンツに事業譲渡)や熊谷組、伊藤忠商事など多数の日本企業が関わったものの、工事初期は苦労の連続だった。
一つは、工事労働者の安全意識の低さだ。頭を守るヘルメット、遠くからでも存在や属性が分かる安全ベスト、つま先を金属で保護した安全靴の「安全3点セット」着用は日本でおなじみだが、デリーの工事初期では違った。
ヘルメットをかぶらないどころか、普段着だったり、はだしだったり。建設会社が3点セットを労働者に支給しても、「汚してしまったらもったいない」と自宅で保管する者さえいた。現場と一般歩行者を分けるフェンスがなく、高所作業用の足場も竹製だったりで、日本の建設関係者は途方に暮れた。
もう一つの大きな苦労は、時間を守ることへのルーズさだ。当時、5年計画の工事が1~2年遅れるのはインドの常識。インド初の地下鉄コルカタメトロの場合、1972年12月に着工したものの、路線17キロが完成するまで20年以上かかった。
また、デリーメトロの工事の進め方を巡っては、鉄道公社が建設会社に指示を細かく出し過ぎ、思うように進まないという問題もあった。
■安全意識と工期厳守を徹底

デリーメトロ建設工事の労働者向け安全講習会。写真中央で立っている女性が阿部玲子氏(オリエンタルコンサルタンツグローバル提供)

デリーメトロ鉄道公社や日本の建設関係者は協力し合い、新ルールをつくって3点セットを着けない労働者は現場で働かせなかったり、フェンスや金属製の足場を導入したり、さまざまな改革に踏み切った。
時間については、工期厳守の考えを徹底し、インド人も「KOKI」という日本語を頻繁に使うまでに。工事の進め方は、鉄道公社ではなく、建設会社が主導権を握るようにした。
改革を重ねた末、デリーメトロは02年12月、まず8.3キロ区間が開業した。残り区間を含めた1期工事は、初期こそ遅れが目立ったものの、06年11月に予定より7カ月早く完成した。
2期工事からデリーメトロ建設に関わる阿部玲子氏(59)=建設コンサル会社オリエンタルコンサルタンツグローバル・インディア会長=は建設現場を訪れる度、1期工事と同様、3点セットを着けない労働者は片っ端から追い出した。日々の稼ぎが大事な労働者は警戒心を強め、阿部氏が現場に到着すると、労働者と結託したガードマンが「要注意人物が来たぞ」の意図を込めて笛を吹くようになった。
「継続は力なり。2期工事が終わった12年ごろまでに、3点セット着用はかなり浸透した」。阿部氏はそう語り、笑みを浮かべた。
その後、3期工事も終わり、全長は約390キロに到達。現在は4期工事(暫定約65キロ)が進んでいる。毎日午前6時ごろから午後11時ごろまで運行し、今や1日当たりの利用客数も全長も世界トップ10クラス。先進国と肩を堂々並べる。
■開業20年、社会改革を起こす
当初の敷設理由だった渋滞と排ガス問題には一定の効果を発揮した。デリー内を走る車両は、デリーメトロがなかった仮定の場合と比べた際、18年時点で1日当たり約70万台減り、二酸化炭素(CO2)に換算すると約99万トンを削減したとされる。三菱電機の省エネ技術「電力回生ブレーキ」を用いた車両を導入したことで、国連は07年12月、この導入を鉄道事業としては世界で初めてとなるクリーン開発メカニズム(CDM)事業に登録した。
そのほか、ピーク時は列車が数分おきに定時運行することで、無理に乗車する必要がなくなり整列の文化が根付いたり。そうした整列文化が、駅のホームのみならず、付近のオフィスビルのエレベーター前で見ることができたり。日本のメトロを参考に、女性専用車両や駅舎に防犯カメラを導入したことで、女性が安心して利用できるようになったりした。
デリーメトロはこの20年間、通勤・通学を便利にしただけでなく、建設現場での安全意識や工期厳守、渋滞・排ガスの緩和、整列文化、女性の社会進出など、インドの人々の生活・行動様式を大きく変えた。国際協力機構(JICA)でデリーメトロを担当する日野薫郎(くんろう)氏(34)は「トランスポーテーション(輸送)がトランスフォーメーション(社会改革)をもたらした。デリーメトロは日印協力のシャイニング・イグザンプル(輝かしい事例)」と誇らしげに話した。

デリーメトロの女性専用車両(JICA提供)

■先進国に向けた存在感を強める印
インドは、人口が23年に中国を抜いて世界1位になり、国内総生産(GDP)は27年までに日本、ドイツを抜いて3位になるとされている。日印関係は今後、経済はもちろん、政治でもますます重要になる。
「以前は安全や環境に対する関心が低かったが、最近は違う。そうしたところにビジネスチャンスは転がっている」。オリエンタルコンサルタンツグローバル・インディアの阿部氏は力を込める。JICAの日野氏も「日本の関わり方のフェーズはこれから変わる。メトロ関連では、沿線のショッピングモールや住宅開発など、運行以外の分野が重要になる」と先を見据える。
あまり知られていないが、日本にとって最初の円借款の供与国はインドだった。1958年2月の契約締結を皮切りに、これまでに国別最多に当たる累計6兆9,783億円(22年11月末時点)の円借款を供与した。
インドは今、先進国に向けた存在感を日増しに強めている。日本にとって、支援の対象だった時代は終わり、対等なビジネスパートナーとしての関係にどんどん移り変わっている。
(日印国交70年の本特集は今回で終了です)

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[caption id="attachment_10865" align="aligncenter" width="620"]2022年12月で開業20年を迎えたデリーメトロ(JICA提供)[/caption]
「女性専用車両は毎日使っているし、駅のホームには男性と女性の警備員がいる。メトロが一番早く、一番安全」——。デリー首都圏(NCR)に住む女性会社員、プリヤ・クマリさん(35)はNNAの取材に対し、そう答えた。
12年12月のレイプ殺害事件をはじめ、女性のバス移動は不安がまだまだ残るインド。デリー首都圏の女性にとって、メトロができるまでは安全・安心な交通手段がなく、自宅から遠い場所でなかなか働けなかった。プリヤさんは日々、デリーメトロに片道50分乗車し、勤務先に通勤している。
プリヤさんの家族もメトロ通勤に安心感を持っているといい、ブリヤさんは「デリーで働く女性の増加に役立っていると思う」とコメントした。
■計画、90年代に動き始める
デリーメトロの建設計画が本格的に動き出したのは1990年代。この頃の都心移動はバスや自家用車が中心で、人口増と車の普及を背景に、渋滞と排ガスによる大気汚染が今以上にひどかった。
95年5月、インド政府が50%、デリー政府が50%を出資し、デリーメトロ鉄道公社(DMRC)を設立。97年2月には、デリーメトロ事業で最初となる円借款契約に日本とインドの代表者が調印した。
建設工事は98年10月に始まった。建設コンサルティング会社パシフィックコンサルタンツインターナショナル(PCI、08年8月にオリエンタルコンサルタンツに事業譲渡)や熊谷組、伊藤忠商事など多数の日本企業が関わったものの、工事初期は苦労の連続だった。
一つは、工事労働者の安全意識の低さだ。頭を守るヘルメット、遠くからでも存在や属性が分かる安全ベスト、つま先を金属で保護した安全靴の「安全3点セット」着用は日本でおなじみだが、デリーの工事初期では違った。
ヘルメットをかぶらないどころか、普段着だったり、はだしだったり。建設会社が3点セットを労働者に支給しても、「汚してしまったらもったいない」と自宅で保管する者さえいた。現場と一般歩行者を分けるフェンスがなく、高所作業用の足場も竹製だったりで、日本の建設関係者は途方に暮れた。
もう一つの大きな苦労は、時間を守ることへのルーズさだ。当時、5年計画の工事が1~2年遅れるのはインドの常識。インド初の地下鉄コルカタメトロの場合、1972年12月に着工したものの、路線17キロが完成するまで20年以上かかった。
また、デリーメトロの工事の進め方を巡っては、鉄道公社が建設会社に指示を細かく出し過ぎ、思うように進まないという問題もあった。
■安全意識と工期厳守を徹底
[caption id="attachment_10867" align="aligncenter" width="620"]デリーメトロ建設工事の労働者向け安全講習会。写真中央で立っている女性が阿部玲子氏(オリエンタルコンサルタンツグローバル提供)[/caption]
デリーメトロ鉄道公社や日本の建設関係者は協力し合い、新ルールをつくって3点セットを着けない労働者は現場で働かせなかったり、フェンスや金属製の足場を導入したり、さまざまな改革に踏み切った。
時間については、工期厳守の考えを徹底し、インド人も「KOKI」という日本語を頻繁に使うまでに。工事の進め方は、鉄道公社ではなく、建設会社が主導権を握るようにした。
改革を重ねた末、デリーメトロは02年12月、まず8.3キロ区間が開業した。残り区間を含めた1期工事は、初期こそ遅れが目立ったものの、06年11月に予定より7カ月早く完成した。
2期工事からデリーメトロ建設に関わる阿部玲子氏(59)=建設コンサル会社オリエンタルコンサルタンツグローバル・インディア会長=は建設現場を訪れる度、1期工事と同様、3点セットを着けない労働者は片っ端から追い出した。日々の稼ぎが大事な労働者は警戒心を強め、阿部氏が現場に到着すると、労働者と結託したガードマンが「要注意人物が来たぞ」の意図を込めて笛を吹くようになった。
「継続は力なり。2期工事が終わった12年ごろまでに、3点セット着用はかなり浸透した」。阿部氏はそう語り、笑みを浮かべた。
その後、3期工事も終わり、全長は約390キロに到達。現在は4期工事(暫定約65キロ)が進んでいる。毎日午前6時ごろから午後11時ごろまで運行し、今や1日当たりの利用客数も全長も世界トップ10クラス。先進国と肩を堂々並べる。
■開業20年、社会改革を起こす
当初の敷設理由だった渋滞と排ガス問題には一定の効果を発揮した。デリー内を走る車両は、デリーメトロがなかった仮定の場合と比べた際、18年時点で1日当たり約70万台減り、二酸化炭素(CO2)に換算すると約99万トンを削減したとされる。三菱電機の省エネ技術「電力回生ブレーキ」を用いた車両を導入したことで、国連は07年12月、この導入を鉄道事業としては世界で初めてとなるクリーン開発メカニズム(CDM)事業に登録した。
そのほか、ピーク時は列車が数分おきに定時運行することで、無理に乗車する必要がなくなり整列の文化が根付いたり。そうした整列文化が、駅のホームのみならず、付近のオフィスビルのエレベーター前で見ることができたり。日本のメトロを参考に、女性専用車両や駅舎に防犯カメラを導入したことで、女性が安心して利用できるようになったりした。
デリーメトロはこの20年間、通勤・通学を便利にしただけでなく、建設現場での安全意識や工期厳守、渋滞・排ガスの緩和、整列文化、女性の社会進出など、インドの人々の生活・行動様式を大きく変えた。国際協力機構(JICA)でデリーメトロを担当する日野薫郎(くんろう)氏(34)は「トランスポーテーション(輸送)がトランスフォーメーション(社会改革)をもたらした。デリーメトロは日印協力のシャイニング・イグザンプル(輝かしい事例)」と誇らしげに話した。
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インドは、人口が23年に中国を抜いて世界1位になり、国内総生産(GDP)は27年までに日本、ドイツを抜いて3位になるとされている。日印関係は今後、経済はもちろん、政治でもますます重要になる。
「以前は安全や環境に対する関心が低かったが、最近は違う。そうしたところにビジネスチャンスは転がっている」。オリエンタルコンサルタンツグローバル・インディアの阿部氏は力を込める。JICAの日野氏も「日本の関わり方のフェーズはこれから変わる。メトロ関連では、沿線のショッピングモールや住宅開発など、運行以外の分野が重要になる」と先を見据える。
あまり知られていないが、日本にとって最初の円借款の供与国はインドだった。1958年2月の契約締結を皮切りに、これまでに国別最多に当たる累計6兆9,783億円(22年11月末時点)の円借款を供与した。
インドは今、先進国に向けた存在感を日増しに強めている。日本にとって、支援の対象だった時代は終わり、対等なビジネスパートナーとしての関係にどんどん移り変わっている。
(日印国交70年の本特集は今回で終了です)
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