日本統治時代(1895~1945年)にルーツを持つ台湾のコーヒー栽培。かつて重要な作物の1つに位置付けられ、日本の企業などが栽培に参画した。第2次大戦後に廃れたが、2000年ごろから「復活」。台湾の街中ではカフェが急増するなどコーヒーに関連したビジネスチャンスを意味する「黒金商機」が注目を集めている。栽培から販売まで、台湾の現場を取材した。【張成慧】
台湾で育ったコーヒーの実。コーヒーに関連したビジネスチャンスが注目を集めている=24年12月、嘉義県(NNA撮影)
台湾の23年のコーヒー豆の生産量は約956トンと05年の5.5倍となった——。台湾農業部(農業省)が公表している統計資料からは、台湾で近年コーヒーの栽培が急拡大したことが読み取れる。台湾のコーヒー栽培の技術向上の支援などを目的とする団体、台湾コーヒー産業策略聯盟の林哲豪召集人に台湾のコーヒー栽培の歴史や産業の状況を聞いた。
■日本統治時代にルーツ
林氏によると、台湾のコーヒー栽培の歴史は日本統治時代の20世紀初頭までさかのぼる。コーヒーの商業栽培は日本人が台湾にやって来て始まったという。
日本統治下では「農業は台湾、工業は日本」と呼ばれる政策が推し進められ、農業部関連機関の資料によると、台湾総督府は1902年、台湾南部の恒春で熱帯経済植物の試験栽培を行うよう技師に指示。コーヒーは重要な作物の1つに位置付けられた。30年ごろまでに台中や嘉義、屏東、台東など各地で試験生産が行われたという。
台湾がコーヒー栽培に適していることが確認されると、日本の企業がコーヒー栽培に参画した。キーコーヒーによると、同社の前身は30年代に台東と嘉義でコーヒー農園事業を始めている。
台湾のコーヒー栽培面積は42年には1,000ヘクタールに迫る規模に拡大したという。しかし、第2次大戦後、日本人は台湾から引き揚げ、台湾のコーヒー産業は廃れていった。
戦後、米国の支援の下で台湾のコーヒー栽培は徐々に復活し、雲林県の農場では年間22トンが生産された。しかし、国際的なコーヒー価格の下落や台湾でコーヒーを飲む文化がまだ普及していなかったことから、販売が低迷。台湾のコーヒー栽培は再び停滞することとなった。
■経済成長とコーヒーの普及
台湾では80年代に経済成長が加速し、それに伴ってコーヒーを飲む文化が徐々に広がっていった。98年には米スターバックスコーヒーが台湾に進出。さまざまなカフェチェーンが林立するようになった。
財政部(財政省)の統計によると、台湾のカフェの数は2024年12月時点で4,851軒に上り、07年時点の約3倍に増えた。
台湾流通大手、統一超商(プレジデント・チェーンストア)が運営するコンビニ台湾最大手「セブン—イレブン」は04年から「シティーカフェ」ブランドを打ち出し、店内でコーヒーを提供している。統一超商が24年12月に発表した資料によると、シティーカフェの23年の売上高は170億台湾元(約770億円)を突破した。
台湾のコーヒー豆などの輸入量も増えている。農業部が公表している統計資料によると、24年のコーヒー豆などの輸入量は10年前の14年比で89.7%増となる4万5,089トンに上った。
台湾コーヒー産業策略聯盟の林哲豪召集人=24年11月(NNA撮影)
■コーヒー栽培の「復興」
台湾のコーヒー栽培はこうした中で「復興」を遂げた。雲林県古坑郷は1999年9月21日に南投県を震源として発生した「921大地震」で被災し、その後、コーヒーを発展の主軸に据え、数年で有名になった。
ちょうど2000年ごろ、世界では豆の個性を生かし、焙煎(ばいせん)や抽出方法にもこだわって楽しむ「サードウエーブコーヒー」ブームが起こっていたが、台湾では当時そこまで浸透しておらず、林氏は「古坑郷のコーヒー生産は、台湾人がコーヒーを飲み始めたことによって発展していった側面が強い」と解説した。
その後、新たな産地として注目されるようになったのが嘉義県の阿里山だ。その背景には、1人の栽培者の成功があった。
その栽培者とは、台湾のコーヒー業界で広く知られる農園「鄒築園」の創業者、方政倫氏だ。方氏は00年、台北から古里の阿里山に戻った際、父親がコーヒーを栽培していたことをきっかけにコーヒーに興味を持った。
方氏によると、それから数年たつと古坑郷のコーヒーが人気を集めるようになり、方氏はたびたび現地を訪れて、栽培方法などを学習。コーヒー栽培に関する情報が限られる中で模索を続け、07年に初めてコンテストで優勝した。その後、正式にコーヒー豆の販売を始めた。
阿里山はもともと茶の産地として知られるが、有名なコーヒー農園の関係者が情報を共有するなどして現地での栽培を支援しており、こうしたことが阿里山でコーヒー栽培が盛んになった背景にあると林氏は説明した。
■価格の高さ課題に
00年代初頭と比べて、台湾のコーヒー豆の生産量は増えたものの、アフリカや中南米などの世界の主要産地に及ばず、加えて人件費が比較的高いことから、販売価格が高くなることが課題となっている。
林氏は台湾のコーヒーは世界のハイエンド市場で一定程度認知されているものの、一般の消費者からは台湾がコーヒーの産地としてあまり認識されていないと指摘した。
しかし、台湾で品質の高いコーヒーを求める機運は高まっている。林氏によるとコーヒーの専門技能の国際資格「Qグレーダー」を持つ人は台湾に約650人いるという。
林氏は、台湾にはコーヒーに関する文化のほか、多くの大学、研究機関があると説明し、「台湾が世界のコーヒーの中心と研究センターになることを期待している」と述べた。
<メモ>
台湾コーヒー産業策略聯盟は台湾のコーヒー産業の技術や生産量の向上、海外市場における台湾コーヒーの消費拡大に向けた支援を行うことを目的としている。
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■日本統治時代にルーツ
林氏によると、台湾のコーヒー栽培の歴史は日本統治時代の20世紀初頭までさかのぼる。コーヒーの商業栽培は日本人が台湾にやって来て始まったという。
日本統治下では「農業は台湾、工業は日本」と呼ばれる政策が推し進められ、農業部関連機関の資料によると、台湾総督府は1902年、台湾南部の恒春で熱帯経済植物の試験栽培を行うよう技師に指示。コーヒーは重要な作物の1つに位置付けられた。30年ごろまでに台中や嘉義、屏東、台東など各地で試験生産が行われたという。
台湾がコーヒー栽培に適していることが確認されると、日本の企業がコーヒー栽培に参画した。キーコーヒーによると、同社の前身は30年代に台東と嘉義でコーヒー農園事業を始めている。
台湾のコーヒー栽培面積は42年には1,000ヘクタールに迫る規模に拡大したという。しかし、第2次大戦後、日本人は台湾から引き揚げ、台湾のコーヒー産業は廃れていった。
戦後、米国の支援の下で台湾のコーヒー栽培は徐々に復活し、雲林県の農場では年間22トンが生産された。しかし、国際的なコーヒー価格の下落や台湾でコーヒーを飲む文化がまだ普及していなかったことから、販売が低迷。台湾のコーヒー栽培は再び停滞することとなった。
■経済成長とコーヒーの普及
台湾では80年代に経済成長が加速し、それに伴ってコーヒーを飲む文化が徐々に広がっていった。98年には米スターバックスコーヒーが台湾に進出。さまざまなカフェチェーンが林立するようになった。
財政部(財政省)の統計によると、台湾のカフェの数は2024年12月時点で4,851軒に上り、07年時点の約3倍に増えた。
台湾流通大手、統一超商(プレジデント・チェーンストア)が運営するコンビニ台湾最大手「セブン—イレブン」は04年から「シティーカフェ」ブランドを打ち出し、店内でコーヒーを提供している。統一超商が24年12月に発表した資料によると、シティーカフェの23年の売上高は170億台湾元(約770億円)を突破した。
台湾のコーヒー豆などの輸入量も増えている。農業部が公表している統計資料によると、24年のコーヒー豆などの輸入量は10年前の14年比で89.7%増となる4万5,089トンに上った。
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■コーヒー栽培の「復興」
台湾のコーヒー栽培はこうした中で「復興」を遂げた。雲林県古坑郷は1999年9月21日に南投県を震源として発生した「921大地震」で被災し、その後、コーヒーを発展の主軸に据え、数年で有名になった。
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その後、新たな産地として注目されるようになったのが嘉義県の阿里山だ。その背景には、1人の栽培者の成功があった。
その栽培者とは、台湾のコーヒー業界で広く知られる農園「鄒築園」の創業者、方政倫氏だ。方氏は00年、台北から古里の阿里山に戻った際、父親がコーヒーを栽培していたことをきっかけにコーヒーに興味を持った。
方氏によると、それから数年たつと古坑郷のコーヒーが人気を集めるようになり、方氏はたびたび現地を訪れて、栽培方法などを学習。コーヒー栽培に関する情報が限られる中で模索を続け、07年に初めてコンテストで優勝した。その後、正式にコーヒー豆の販売を始めた。
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■価格の高さ課題に
00年代初頭と比べて、台湾のコーヒー豆の生産量は増えたものの、アフリカや中南米などの世界の主要産地に及ばず、加えて人件費が比較的高いことから、販売価格が高くなることが課題となっている。
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