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水野真澄さん「アジア起業の歩き方」 第六章 Mizuno Consultancy9年間と今後

水野真澄さん「アジア起業の歩き方」 第六章 Mizuno Consultancy9年間と今後

 

Mizuno Consultancy Holdings Ltd(以下、MCH)設立から9年が経過した。

いままでの経緯を、駆け足で振り返ってみたい。

 

MCH設立直後、たくさんの元クライアントの方々が、僕に連絡をくれ、契約を切りかえてくれた。

開業は日経新聞でも記事にしてくれたし、フジサンケイビジネスアイは、「1面丸々空けて待っているから、インタビューに来てください」と言ってくれた。

我ながら、僕の会社設立のニュース価値には疑問が有ったが、水野を応援しようという記者の方々の温情に感謝した。

また、後で知った事であるが、丸紅ではそれらの記事を社内告知してくれたようで、そんな粋な計らいをしてくれた、丸紅の広報部にも感謝した。

 

2008年9月19日に、MHC開業記念パーティーを、NNAが香港で主催して開いてくれた。

連載300回記念と時期が一緒だったし、僕の誕生日にも近い。

それを兼ねたパーティーだ。

こじんまりしたものだったが、参加者の方々が温かかった。

 

2008年11月26日には、NAC Globalの助けを借りて、深圳シャングリラホテルで、開業記念講演会を開催した。

編集の都合で、最終的に放送されなかったのは残念だったが、TV東京のガイアの夜明けの制作スタッフが、深圳まで取材班を派遣してくれ、半日掛かりで取材してくれた。

 

上海の開業記念講演は、2009年3月4日。

思い出の花園飯店メインボールルームである。

外高橋保税区(その後、上海自由貿易試験区に組織変更)も講師を派遣してくれ、また、その後、僕を優秀パートナーとして表彰してくれた。

会社設立したてで、まだ殆ど実績がなかった頃の表彰だけに、「頑張れ」という外高橋保税区のサポートに思えて嬉しかった。

広州の実質的な開業記念講演会は、広州保税区・保税物流園区との共同だった。

この様に、日本人も中国人も、民間も政府機関も、昔一緒に仕事をした人たちが、僕の開業で、変わらず応援してくれたのが嬉しかった。

 

起業1年で、会社の経営は随分安定したとはいえ、暫くは、仕事を選ぶことはできなかった。思い出深いのは、2009年に引き受けた会社清算業務と約500人の解雇代行である。

この会社は、1,000人の従業員を、最初の段階で500人解雇して規模縮小。

それからしばらくして、残り500人を解雇する事となっていた。

最初の500人解雇の際に、日本人幹部が工場に監禁されたため、次の全員解雇に際しては、僕に対応依頼が来たものだ。

この仕事を引き受けたのは上海総経理・胡で、顧問弁護士と共同で対応してきたのだが、全員に対する解雇宣告の前日、「危ないので僕と弁護士が行きます。水野は来なくて大丈夫」と言ってくれた。

ただ、危ない場所に自分が行かず、部下に指示だけでは、いかにも男気が無い。自分が行かなければ、ずっと引け目に感じるだろうと思い、「僕も行く」と回答した。

ただ、本音を言えば怖かった。

監禁されたらどうしようかと、前夜は極度の緊張で一睡もできなかった。

朝一番で開かれた従業員全員に対する説明会には、地方政府の人々が立ち会ってくれたし、警備会社に数十人の人員派遣も頼んでいたため、社員が一斉に不満で足を踏み鳴らす張りつめた状況ではあったものの、直接的な行動はなく、無事、工場を出る事ができた。

ところが、その日の夜、日本人の工場長が、宿舎に監禁されてしまった。

工場内の宿舎に戻ったところを取り囲まれたのである。

救援要請を受けたのは夜9時で、胡と顧問弁護士が先に。ワンテンポ遅れて僕が公安に駆け付けた。

公安は、「自分の所轄内で外国人がけがをすれば責任問題になるので、必ず救出はする」と言ってくれた。但し、現段階では、誰も暴れておらず、工場を取り囲んでトランプをしているだけであるため、救出でけが人が出れば、それはそれで厄介な事になる。明朝まで待ってほしいという要望を受けた。

労働関係部門の人間を呼び、従業員たちに監禁をやめる様説得させ、それに従わない事を理由として救出にあたりたい、という訳だ。

ある意味、もっともな意見であったので、反対もできず、公安で1晩明かす事となった。

何もできないイラつきから、現場を見てくると主張したら、公安から「お前まで監禁されるからやめてくれ」と止められた。

時折、電話で、工場に監禁されている工場長と状況確認をしあうという、緊張した状態のまま、一夜が過ぎていった。

 

翌日は講演会だったので、僕は目の下にクマを作って講演会場に出かけた。

現場に残った胡より救出成功の電話を受けたのは、講演開始直前であった。

これが、2夜連続の不眠の後に臨んだ講演会の写真。

やつれた顔で写っているが、救出成功の報告を受けた直後だったので、心は晴れやかだった。これも、僕と部下で力を合わせて問題を解決した思い出だ。

日本代表事務所を開いたのは2011年。

開業記念記者発表は、横浜市と共同で行った。

横浜市は、林市長の勧誘の成果という事で、記者発表したものである。

日本進出は、日経新聞、時事通信、NNAが記事にしてくれた。

日本事務所長の杉山のところに、「横浜を選んだ理由は」という質問が有った様で、質問者の方は、立地や利便性などの回答を期待したようだが、杉山の回答は、「代表の水野の想いです」というものだった。

ランドマークが完成した1993年に、僕はベイブリッジからランドマークを眺め、「何時か独立してランドマークにオフィスを開く」と誓いを立てた。

ランドマークどころか、独立する事すら夢のまた夢の状況で、当時、経理部内で自分の実力に自信が持てず、抱いていた不満とストレスが言わせた言葉だった。

ともあれ、憧れのみなとみらいにオフィスを出した事で、1993年の夢は、あと一歩のところまで近づいた。

 

起業直後の2008年9月。

丸紅の退職手続を取るために、日本出張した際、夢を再確認するためにみなとみらいを訪れ、ランドマークタワーをバックに写真を撮った。

絶対会社をあそこに開く、と口に出してはみたものの、当時は、出来立ての会社が軌道に乗るかどうかも分からない頃で、僕自身、その発言には現実味が感じられなかった。

ランドマークどころか、1年後に、会社が存続している保証すらなかったわけだから。

 

その夢が、2014年2月1日にかなう事となった。

想像したよりも早い夢の第一歩の達成である。

 

そして、2015年にベトナム・ホーチミンに100%出資子会社を設立した。

ASEANにコンサルティングの範囲を伸ばす事は、丸紅時代から目標にしていたが、ここでまた一つ達成できた。

 

そして今。

設立9周年で、8拠点。社員も30名となった。

いままで、口に出した目標は、曲りなりにも、全て実現してきた。

今の目標は、会社を未来永劫存続させる事。僕が死んだ後も、会社を存続させる事である。

起業前、起業、そして今に至るまでに、会社の上場に対する考え方は変わり続けた。

昔、僕にとって上場は憧れであった。

ただ、丸紅退職時の騒ぎで、出資者の一存で、会社の安定した運営が阻害され、部下・顧客に迷惑が及ぶ可能性がある事がよくわかった。

会社は出資者のもの。

そんな、出資者目線の記載が、経営マニュアルに出てくるが、決してそうではない。

会社は出資者のものである以前に、社員の人生、顧客の想い、そして経営者の夢が詰まった生き物である。

人の想いを無視して、簡単に売り買いできるものではないし、短期利益の追求だけを目的とした経営は、会社の安定を脅かす。

そんな思いを持った事で、上場に対しては否定的になった。

 

そして、更に、数年が経ち、生き生きと働く社員の顔を見て、気持ちがまた変わった。

会社は社員・顧客、全員のためにある、という気持は変わらないが、会社の存続が、全員に対する責任なのだと考えるようになった。

僕がいなくなった後にも会社を存続させなくてはならない。そのためには、会社を社会のものにしなくてはならない。

それが、上場というステップではないかと考えを変えた。

自分が育てた組織を守り、部下の幸せを守るために、会社を社会のものにする。

それが、今の、そして、おそらく最後の僕の目標である。

 

その目標に向けて、僕は、まだまだ走り続けなくてはならない。

 


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MCH設立直後、たくさんの元クライアントの方々が、僕に連絡をくれ、契約を切りかえてくれた。

開業は日経新聞でも記事にしてくれたし、フジサンケイビジネスアイは、「1面丸々空けて待っているから、インタビューに来てください」と言ってくれた。

我ながら、僕の会社設立のニュース価値には疑問が有ったが、水野を応援しようという記者の方々の温情に感謝した。

また、後で知った事であるが、丸紅ではそれらの記事を社内告知してくれたようで、そんな粋な計らいをしてくれた、丸紅の広報部にも感謝した。

 

2008年9月19日に、MHC開業記念パーティーを、NNAが香港で主催して開いてくれた。

連載300回記念と時期が一緒だったし、僕の誕生日にも近い。

それを兼ねたパーティーだ。

こじんまりしたものだったが、参加者の方々が温かかった。



 

2008年11月26日には、NAC Globalの助けを借りて、深圳シャングリラホテルで、開業記念講演会を開催した。

編集の都合で、最終的に放送されなかったのは残念だったが、TV東京のガイアの夜明けの制作スタッフが、深圳まで取材班を派遣してくれ、半日掛かりで取材してくれた。

 

上海の開業記念講演は、2009年3月4日。

思い出の花園飯店メインボールルームである。

外高橋保税区(その後、上海自由貿易試験区に組織変更)も講師を派遣してくれ、また、その後、僕を優秀パートナーとして表彰してくれた。

会社設立したてで、まだ殆ど実績がなかった頃の表彰だけに、「頑張れ」という外高橋保税区のサポートに思えて嬉しかった。

広州の実質的な開業記念講演会は、広州保税区・保税物流園区との共同だった。

この様に、日本人も中国人も、民間も政府機関も、昔一緒に仕事をした人たちが、僕の開業で、変わらず応援してくれたのが嬉しかった。

 

起業1年で、会社の経営は随分安定したとはいえ、暫くは、仕事を選ぶことはできなかった。思い出深いのは、2009年に引き受けた会社清算業務と約500人の解雇代行である。

この会社は、1,000人の従業員を、最初の段階で500人解雇して規模縮小。

それからしばらくして、残り500人を解雇する事となっていた。

最初の500人解雇の際に、日本人幹部が工場に監禁されたため、次の全員解雇に際しては、僕に対応依頼が来たものだ。

この仕事を引き受けたのは上海総経理・胡で、顧問弁護士と共同で対応してきたのだが、全員に対する解雇宣告の前日、「危ないので僕と弁護士が行きます。水野は来なくて大丈夫」と言ってくれた。

ただ、危ない場所に自分が行かず、部下に指示だけでは、いかにも男気が無い。自分が行かなければ、ずっと引け目に感じるだろうと思い、「僕も行く」と回答した。

ただ、本音を言えば怖かった。

監禁されたらどうしようかと、前夜は極度の緊張で一睡もできなかった。

朝一番で開かれた従業員全員に対する説明会には、地方政府の人々が立ち会ってくれたし、警備会社に数十人の人員派遣も頼んでいたため、社員が一斉に不満で足を踏み鳴らす張りつめた状況ではあったものの、直接的な行動はなく、無事、工場を出る事ができた。

ところが、その日の夜、日本人の工場長が、宿舎に監禁されてしまった。

工場内の宿舎に戻ったところを取り囲まれたのである。

救援要請を受けたのは夜9時で、胡と顧問弁護士が先に。ワンテンポ遅れて僕が公安に駆け付けた。

公安は、「自分の所轄内で外国人がけがをすれば責任問題になるので、必ず救出はする」と言ってくれた。但し、現段階では、誰も暴れておらず、工場を取り囲んでトランプをしているだけであるため、救出でけが人が出れば、それはそれで厄介な事になる。明朝まで待ってほしいという要望を受けた。

労働関係部門の人間を呼び、従業員たちに監禁をやめる様説得させ、それに従わない事を理由として救出にあたりたい、という訳だ。

ある意味、もっともな意見であったので、反対もできず、公安で1晩明かす事となった。

何もできないイラつきから、現場を見てくると主張したら、公安から「お前まで監禁されるからやめてくれ」と止められた。

時折、電話で、工場に監禁されている工場長と状況確認をしあうという、緊張した状態のまま、一夜が過ぎていった。

 

翌日は講演会だったので、僕は目の下にクマを作って講演会場に出かけた。

現場に残った胡より救出成功の電話を受けたのは、講演開始直前であった。

これが、2夜連続の不眠の後に臨んだ講演会の写真。

やつれた顔で写っているが、救出成功の報告を受けた直後だったので、心は晴れやかだった。これも、僕と部下で力を合わせて問題を解決した思い出だ。



日本代表事務所を開いたのは2011年。

開業記念記者発表は、横浜市と共同で行った。

横浜市は、林市長の勧誘の成果という事で、記者発表したものである。

日本進出は、日経新聞、時事通信、NNAが記事にしてくれた。

日本事務所長の杉山のところに、「横浜を選んだ理由は」という質問が有った様で、質問者の方は、立地や利便性などの回答を期待したようだが、杉山の回答は、「代表の水野の想いです」というものだった。

ランドマークが完成した1993年に、僕はベイブリッジからランドマークを眺め、「何時か独立してランドマークにオフィスを開く」と誓いを立てた。

ランドマークどころか、独立する事すら夢のまた夢の状況で、当時、経理部内で自分の実力に自信が持てず、抱いていた不満とストレスが言わせた言葉だった。

ともあれ、憧れのみなとみらいにオフィスを出した事で、1993年の夢は、あと一歩のところまで近づいた。

 

起業直後の2008年9月。

丸紅の退職手続を取るために、日本出張した際、夢を再確認するためにみなとみらいを訪れ、ランドマークタワーをバックに写真を撮った。

絶対会社をあそこに開く、と口に出してはみたものの、当時は、出来立ての会社が軌道に乗るかどうかも分からない頃で、僕自身、その発言には現実味が感じられなかった。

ランドマークどころか、1年後に、会社が存続している保証すらなかったわけだから。

 



その夢が、2014年2月1日にかなう事となった。

想像したよりも早い夢の第一歩の達成である。

 

そして、2015年にベトナム・ホーチミンに100%出資子会社を設立した。

ASEANにコンサルティングの範囲を伸ばす事は、丸紅時代から目標にしていたが、ここでまた一つ達成できた。

 

そして今。

設立9周年で、8拠点。社員も30名となった。



いままで、口に出した目標は、曲りなりにも、全て実現してきた。

今の目標は、会社を未来永劫存続させる事。僕が死んだ後も、会社を存続させる事である。

起業前、起業、そして今に至るまでに、会社の上場に対する考え方は変わり続けた。

昔、僕にとって上場は憧れであった。

ただ、丸紅退職時の騒ぎで、出資者の一存で、会社の安定した運営が阻害され、部下・顧客に迷惑が及ぶ可能性がある事がよくわかった。

会社は出資者のもの。

そんな、出資者目線の記載が、経営マニュアルに出てくるが、決してそうではない。

会社は出資者のものである以前に、社員の人生、顧客の想い、そして経営者の夢が詰まった生き物である。

人の想いを無視して、簡単に売り買いできるものではないし、短期利益の追求だけを目的とした経営は、会社の安定を脅かす。

そんな思いを持った事で、上場に対しては否定的になった。

 

そして、更に、数年が経ち、生き生きと働く社員の顔を見て、気持ちがまた変わった。

会社は社員・顧客、全員のためにある、という気持は変わらないが、会社の存続が、全員に対する責任なのだと考えるようになった。

僕がいなくなった後にも会社を存続させなくてはならない。そのためには、会社を社会のものにしなくてはならない。

それが、上場というステップではないかと考えを変えた。

自分が育てた組織を守り、部下の幸せを守るために、会社を社会のものにする。

それが、今の、そして、おそらく最後の僕の目標である。

 

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