「日本での生活なんて二度とごめんだ」
ヤンゴンで会ったミャンマー人男性は、「若かったから日本での生活に耐えられた」のだと語った。飲食店などで働き、18年間のオーバーステイ(不法滞在)が終わり出国する際、「なぜ捕まらなかったのですか」とあきれられたという。
1990年代に日本に渡り、朝早く起床して働き、眠る日々……。目まぐるしく、どこか窮屈だったという。民主化が進んだ2010年代に帰国し、21年2月のクーデター後も国外逃避は考えていない。すでに60代、「新しい生活を夢見る年じゃない」。
つい先日、別の知人が再び日本に渡った。在留資格「特定技能」で働く若者らの管理者のような立場を得たが、最後まで「ミャンマーが一番だ」と渡航を渋っていた。彼の旅立ち前に「日本OB組」が集い、「日本は不法滞在に優しいが仕事に厳し過ぎる」と笑い合っていた。(弘)
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- 国・地域別
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ミャンマー・ラオス・カンボジア情報
- 内容別
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ビジネス全般人事労務