東京電力福島第1原発の処理水海洋放出を受け、香港政府が10都県産の水産物輸入を禁止して24日で丸1年となる。日本政府は規制の撤廃を繰り返し求めてきたが、香港政府はここまで応じる姿勢を見せておらず、交渉は長期化しそうだ。規制への対応で輸入業者の負担は増えたものの、日本産水産物の輸入減少にはむしろ香港経済の低迷が大きく関係しており、規制の影響は限定的だとみられている。【菅原真央】
香港政府は処理水の海洋放出が始まった昨年8月24日以降、東京、福島、千葉、栃木、茨城、群馬、宮城、新潟、長野、埼玉の10都県で収穫、製造、加工、梱包(こんぽう)された水産物の輸入を禁止している。日本側はこれまで、在香港日本国総領事館が中心となって香港政府に対する禁輸措置の即時撤廃の申し入れや地元メディアへの説明会などを重ねてきた。
今月16日には香港を訪れた坂本哲志農相が、香港政府の卓永興政務長官代行(政務副長官)に、科学的根拠に基づかない輸入規制を撤廃するよう要請した。香港政府によると、卓氏は「処理水の海洋放出による影響は前例がなく、日本は現時点で処理水の浄化・希釈装置が長期間有効に作動するか保証できていない」と主張した上で、香港政府は引き続き放出動向に注意を払い、関連する措置を随時点検すると述べるにとどめた。両者は対話を継続していくことを確認した。
この1年、日本産水産物の輸入販売業者が最も苦慮してきたのが、東京・豊洲市場で再梱包ができなくなったことへの対応だ。輸入禁止対象でない地域で取れた水産物は、開封しなければ豊洲を経由できるが、同市場で別の箱に詰め替えた場合は輸入が認められない。
香港でマグロの輸入販売などを手がけるゼンフーズは、やむを得ず作業を行う市場を横浜に変更したが、豊洲からの運送コストや手間が増えた上、届けるまでの時間が延びて鮮度にも影響が出かねないようになった。氷室利夫会長は「規制に合わせて対応はしているが、理不尽さは感じている」と訴えた。
産地の振り替えも進み、香港のすし店ではこれまでとは違う産地や業者からの鮮魚も取り扱われるようになった。規制外の地域で新たな業者を開拓し、豊洲を経由せずに直接産地から取り寄せる動きが加速しているという。
香港では処理水放出による規制のほか、原発事故発生直後の2011年3月から、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県からの青果や放射性物質検査証明のない食肉・鮮魚などの輸入を禁止していた。福島以外の4県に対しては、ようやく18年7月に青果などが日本の管理当局が発行した放射性物質検査証明と輸出業者証明があれば輸入ができるようになり、19年2月には放射性物質検査証明の運用条件が緩和された。氷室氏はこの例を挙げ「今回の規制も緩和まではまだしばらく時間がかかるのではないか」と予想した。
■消費者は「気にならない」
一方、一般消費者の間では処理水問題は既に過去の話題となりつつある。香港では15~19日に香港貿易発展局(HKTDC)が主催する消費者向け大規模食品見本市「美食博覧(フードエキスポ)」が開かれた。BtoB(企業間取引)向けの「美食商貿博覧(フードエキスポ・プロ)」(15~17日)も併催され、日本からも水産物関係を含む200を超える企業・団体が出展した。
フードエキスポに訪れた張さん(60代女性)は「放出開始当初は緊張していて、若い世代にも『しばらく食べない方がいい』と注意していたが、今はあまり気にしていない」とコメント。息子2人を連れて来場した鄭さん(40代女性)は「放出開始当初からそんなに気にしておらず、ずっと日本産を買って食べている」。母親と訪れた周さん(10代)は「輸入されているものは全て検査済みなので気にしていない。今回の目的も水産物で、購入意欲に影響はない」と話した。
日本各地の水産加工品を出品した食品総合商社の交洋(三重県四日市市)の担当者は「放出開始前後は風評被害もあったが、今はほとんどなくなっている」と指摘。日本企業・団体を集めた「ジャパンパビリオン」を主催した日本貿易振興機構(ジェトロ)香港事務所の山崎裕介・市場開拓部部長は「昨年は規制対象が拡大される可能性や消費者の反応など先行きが見えない中、調達に慎重になるバイヤーもいたと思うが、今年は通常の動きに戻ったように感じる」との見方を示した。
西日本では日本産水産品を全面的に禁輸している中国本土の代わりに、香港への輸出を拡大しようという動きが出ている。テレビ長崎(長崎市)が取りまとめ役となったブースには県内の水産加工業者10社が参加した。長崎県水産部の輸出振興担当は「本土向けは輸出再開の見通しが立たないので、香港を含め今までやっていなかった場所で販路を開拓していきたいという業者からの声がある」と説明した。
フードエキスポ・プロのテレビ長崎ブース。県内の水産加工業者10社が香港での販路開拓を狙う=15日、香港会議展覧中心(NNA撮影)
■不況で高級食材に打撃
香港向けの水産物輸出は規制の発効前後から低迷した状況が続いている。ただ、これは規制よりも香港の経済状況悪化に起因しているという見方が関係者の間では大勢を占める。
財務省の貿易統計によると、真珠、加工品、調製品などを除く鮮魚などの魚介類(3類)の香港向け輸出額は23年7月に前年比マイナスに転じた後、規制開始後の9月に46.9%減まで落ち込み、その後もマイナスで推移している。
香港では昨年秋以降、市民が隣接する中国広東省深センなどへ出かけて消費する「北上消費」が増加し、域内では小売・飲食業の不振が顕著になっている。域内の小売売上高は昨年12月以降、前年同月比での増加幅を縮小し、3月には16カ月ぶりのマイナス成長(7.0%減)に転落。飲食店の総売上高も昨年第2四半期(4~6月)以降、増加幅を縮小し、今年第2四半期に7四半期ぶりにマイナスに転じた。香港の飲食業界団体は、地場の飲食店が毎月約300店のペースで閉店していると指摘した。
山崎氏は「高級すし店や『おまかせ』の料理店などが多く閉店に追い込まれていることから、鮮魚だけでなく日本酒なども減少している」と分析した。
■景気回復に向け準備
ジェトロは香港向け輸出の回復に向け、北上消費の一服や景気の好転を待ちつつ、中長期的な取り組みを進めている。昨年からは和食以外での日本産水産物の使用を拡大するためのPRを展開。香港の職業訓練局(VTC)傘下の料理学校、国際厨芸学院(ICI)と提携し、シェフを目指す学生を日本に招いて日本食材の使い方を教える計画もある。また、フードエキスポなどで日本食材に興味を持ったバイヤーに対しては丁寧なフォローアップを行っていくとし「再び景気が上向いた時に日本の関連業界が他国・地域以上に回復できるよう、準備をする時期だと考えている」と山崎氏は語る。
日本料理店には回復の兆しも見え始めた。香港日本料理店協会の会長も務める氷室氏は、最新の情報では7月の日本料理店の売り上げが前月比で増加していたと明かし「まだ元には戻らないが、底を打ったかもしれない。2~3カ月様子を見て、1年で一番の繁忙期である12月に向けて弾みがつけば」と期待を示した。
ゼンフーズ会長と香港日本料理店協会会長を務める氷室利夫氏は、日本料理店の売り上げ回復に期待を示す=20日、尖沙咀(NNA撮影)
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今月16日には香港を訪れた坂本哲志農相が、香港政府の卓永興政務長官代行(政務副長官)に、科学的根拠に基づかない輸入規制を撤廃するよう要請した。香港政府によると、卓氏は「処理水の海洋放出による影響は前例がなく、日本は現時点で処理水の浄化・希釈装置が長期間有効に作動するか保証できていない」と主張した上で、香港政府は引き続き放出動向に注意を払い、関連する措置を随時点検すると述べるにとどめた。両者は対話を継続していくことを確認した。
この1年、日本産水産物の輸入販売業者が最も苦慮してきたのが、東京・豊洲市場で再梱包ができなくなったことへの対応だ。輸入禁止対象でない地域で取れた水産物は、開封しなければ豊洲を経由できるが、同市場で別の箱に詰め替えた場合は輸入が認められない。
香港でマグロの輸入販売などを手がけるゼンフーズは、やむを得ず作業を行う市場を横浜に変更したが、豊洲からの運送コストや手間が増えた上、届けるまでの時間が延びて鮮度にも影響が出かねないようになった。氷室利夫会長は「規制に合わせて対応はしているが、理不尽さは感じている」と訴えた。
産地の振り替えも進み、香港のすし店ではこれまでとは違う産地や業者からの鮮魚も取り扱われるようになった。規制外の地域で新たな業者を開拓し、豊洲を経由せずに直接産地から取り寄せる動きが加速しているという。
香港では処理水放出による規制のほか、原発事故発生直後の2011年3月から、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県からの青果や放射性物質検査証明のない食肉・鮮魚などの輸入を禁止していた。福島以外の4県に対しては、ようやく18年7月に青果などが日本の管理当局が発行した放射性物質検査証明と輸出業者証明があれば輸入ができるようになり、19年2月には放射性物質検査証明の運用条件が緩和された。氷室氏はこの例を挙げ「今回の規制も緩和まではまだしばらく時間がかかるのではないか」と予想した。
■消費者は「気にならない」
一方、一般消費者の間では処理水問題は既に過去の話題となりつつある。香港では15~19日に香港貿易発展局(HKTDC)が主催する消費者向け大規模食品見本市「美食博覧(フードエキスポ)」が開かれた。BtoB(企業間取引)向けの「美食商貿博覧(フードエキスポ・プロ)」(15~17日)も併催され、日本からも水産物関係を含む200を超える企業・団体が出展した。
フードエキスポに訪れた張さん(60代女性)は「放出開始当初は緊張していて、若い世代にも『しばらく食べない方がいい』と注意していたが、今はあまり気にしていない」とコメント。息子2人を連れて来場した鄭さん(40代女性)は「放出開始当初からそんなに気にしておらず、ずっと日本産を買って食べている」。母親と訪れた周さん(10代)は「輸入されているものは全て検査済みなので気にしていない。今回の目的も水産物で、購入意欲に影響はない」と話した。
日本各地の水産加工品を出品した食品総合商社の交洋(三重県四日市市)の担当者は「放出開始前後は風評被害もあったが、今はほとんどなくなっている」と指摘。日本企業・団体を集めた「ジャパンパビリオン」を主催した日本貿易振興機構(ジェトロ)香港事務所の山崎裕介・市場開拓部部長は「昨年は規制対象が拡大される可能性や消費者の反応など先行きが見えない中、調達に慎重になるバイヤーもいたと思うが、今年は通常の動きに戻ったように感じる」との見方を示した。
西日本では日本産水産品を全面的に禁輸している中国本土の代わりに、香港への輸出を拡大しようという動きが出ている。テレビ長崎(長崎市)が取りまとめ役となったブースには県内の水産加工業者10社が参加した。長崎県水産部の輸出振興担当は「本土向けは輸出再開の見通しが立たないので、香港を含め今までやっていなかった場所で販路を開拓していきたいという業者からの声がある」と説明した。
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香港向けの水産物輸出は規制の発効前後から低迷した状況が続いている。ただ、これは規制よりも香港の経済状況悪化に起因しているという見方が関係者の間では大勢を占める。
財務省の貿易統計によると、真珠、加工品、調製品などを除く鮮魚などの魚介類(3類)の香港向け輸出額は23年7月に前年比マイナスに転じた後、規制開始後の9月に46.9%減まで落ち込み、その後もマイナスで推移している。
香港では昨年秋以降、市民が隣接する中国広東省深センなどへ出かけて消費する「北上消費」が増加し、域内では小売・飲食業の不振が顕著になっている。域内の小売売上高は昨年12月以降、前年同月比での増加幅を縮小し、3月には16カ月ぶりのマイナス成長(7.0%減)に転落。飲食店の総売上高も昨年第2四半期(4~6月)以降、増加幅を縮小し、今年第2四半期に7四半期ぶりにマイナスに転じた。香港の飲食業界団体は、地場の飲食店が毎月約300店のペースで閉店していると指摘した。
山崎氏は「高級すし店や『おまかせ』の料理店などが多く閉店に追い込まれていることから、鮮魚だけでなく日本酒なども減少している」と分析した。
■景気回復に向け準備
ジェトロは香港向け輸出の回復に向け、北上消費の一服や景気の好転を待ちつつ、中長期的な取り組みを進めている。昨年からは和食以外での日本産水産物の使用を拡大するためのPRを展開。香港の職業訓練局(VTC)傘下の料理学校、国際厨芸学院(ICI)と提携し、シェフを目指す学生を日本に招いて日本食材の使い方を教える計画もある。また、フードエキスポなどで日本食材に興味を持ったバイヤーに対しては丁寧なフォローアップを行っていくとし「再び景気が上向いた時に日本の関連業界が他国・地域以上に回復できるよう、準備をする時期だと考えている」と山崎氏は語る。
日本料理店には回復の兆しも見え始めた。香港日本料理店協会の会長も務める氷室氏は、最新の情報では7月の日本料理店の売り上げが前月比で増加していたと明かし「まだ元には戻らないが、底を打ったかもしれない。2~3カ月様子を見て、1年で一番の繁忙期である12月に向けて弾みがつけば」と期待を示した。
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