【第3回】日本で働くベトナム人は昨年10月時点で46万2,384人で、外国人労働者全体の4分の1を占める。しかし、長引く円安でベトナムの通貨で見た所得は目減りしており、より多くの所得が得られるオーストラリア、カナダ、台湾などでの就労を選ぶ若者が増えている。日本の製造業の現場からは「質の高いベトナム人は年々雇えなくなっている」と悲鳴が聞こえる。打開のカギは、日本が誇る技術の伝授と、ベトナムに帰った後の就労を支援し、一体となった人材育成に踏み込むことだ。
奥富製作所から事業承継を受けるグエン・ゴック・チュンさん(左)と弟のヒエウさん(中)、ズンさん(右)。3人とも日本で技術を学び、今はホーチミン市クチ郡でそれぞれ会社を経営する。
南部ホーチミン市中心部から車で約1時間、同市クチ郡フックビンアン村にある金属部品メーカー「ON精密加工」。社長として約20人の従業員を率いるグエン・ゴック・チュンさん(43)は「ようやくベトナムに進出している日系企業から直接の注文が入るようになってきた」と表情を緩めた。
工場で製造しているのは、デジタルカメラやスマートフォン、車載用電子機器などに使われる小型部品だ。仕様は発注メーカーの設計図ごとに変わる。小さい部品は1~2ミリメートルほどで、0コンマ数ミリの誤差も許されない。2008年の会社設立後は日本の親会社である東京・奥多摩町の精密部品メーカー、奥富製作所が注文を受け、ベトナムで製造・加工した部品を送り返し、同社で規格外れの不良品などをはじいてから、中国の日系メーカーなどに供給していた。
奥富製作所の奥富孝二社長(右)と、ベトナム人への日本語教育を続けるエスハイのレ・ロン・ソン社長(東京都内で)
ON精密加工にある自動旋盤などの機械約50台は、会社設立時にすべて奥富製作所から運び込んだ。同社からON精密加工に事業承継するための「現物出資」として、奥富製作所の奥富孝二社長(75)が引き渡した。
奥富社長は「機械をある程度の値段で処分し、あっさり引退してしまっても生活には困らなかった」と語る。しかし、40年以上磨き上げてきた技術を終わらせてしまうことは簡単にできなかった。「ベトナムに戻って、やりたい」。真剣な目を向けるチュンさんに任せることを決めた。
奥富社長は1980年代前半、30歳そこそこで大手機械メーカーの技術者を辞めて独立、腕時計用の部品加工から事業を広げ、最近は大手メーカー、ソニーのスマートフォン用部品などを手がけてきた。大手メーカー時代は機械の設計から関わった知識を見込まれ、米国シアトルで米企業向けのメンテナンスなどを担当していた経験もある。独立後、一から大手企業の信用を築き、50歳を過ぎたころから60歳で引退することを考えてきたが、日本人の後継者は見つからなかった。
そのころ、人手不足の補充で受け入れ始めたベトナム人技術者の2人目として、奥富製作所で働いていたのがチュンさんだった。「日本語はほとんどできないが、やる気はある」。奥冨社長は口数の少ないチュンさんをそう見込んだ。日本の裾野産業で現場の技術を学びたいと3年間の期限付きで日本に来たまだ20代前半の青年だった。
言葉が分からなければ何も伝えられない。奥富社長はチュンさんに毎朝、仕事前に2時間ほど日本語を教えた。週末の休日は「機械を勉強させてほしい」と頭を下げるチュンさんの熱意に押され、工場で旋盤などの機械をばらして構造を伝えてきた。チュンさんはベトナムの大学で機械を専攻しただけあって、3年間で何とか機械を動かせるようになった。
■止まらぬ不良品、即赤字
ただ、精密部品は3年程度の実習で身につく世界ではない。部品の単価は1個数円でも、納入先から規格外の不良品が1個でも見つかれば、数万、数十万個の部品がすべて返品されるか、全量を検査し直す必要がある。「あっという間に赤字が膨らむ」のが下請けの弱い立場だ。絶えず変わる材料の温度、工作機械と刃物の状態、工場内の衛生状況まで目配りし、機械のわずかな異音に気を配ることは、機械の知識を超えた経験と慎重さが必要になる。
ON精密加工では今でも時折不良品が出て、定期的に訪れる奥富社長のカミナリが落ちる。使っている機械はすべて日本から持ってきた。「違うのは電気と人間だけ」なのに、ベトナムではまだまだ不良品が多く、黒字にはほど遠い。奥富社長はチュンさんの「社長」としての仕事ぶりを「甘く見ても60点だ」と厳しい。
■苦節10年、現地工場の責任者に
日本で働くベトナム人労働者のほとんどは技能実習生や特定技能の在留資格で数年間日本に滞在して帰国するが、中には大学で機械工学などを学んだあと、「技術者」の資格で日本で働くベトナム人も少なくない。ベトナム人は元々手先が器用とされるだけに、金型・部品加工などの製造業では積極的に受け入れる中小企業が多い。
福岡県岡垣町で精密部品などを製造するトムラスは今年5月、ベトナム南部ドンナイ省にベトナム工場「VIETTOM」を設立した。
長年、福岡の工場でベトナム人技術者や技能実習生を労働者として受け入れてきたが、機械の運転・管理だけでなく、工場内やトイレの清掃まで厳しく指導される職場環境になじめないベトナム人技術者も多く、「長続きしなかった」と戸村竜平社長は話す。
円安が進んだこの5、6年は日本で働くことを希望するベトナム人の数が減り、継続的に労働力を確保することが困難だと感じるようになってきた。今年、同社で10年間働いてきたベトナム人社員が帰国するのに合わせて、現地に工場を開設し、徐々に運営を委ねていく決断をした。
南部の新国際空港として建設が進むロンタイン空港近くの工場は、きれいに清掃され、工作機械が整然と並ぶ。戸村社長は「ベトナムでも人件費は上がっており、簡単に人は雇えなくなる。3年で日本と同じ給与水準にするため、品質も同等にする」とげきを飛ばす。
トムラスのベトナム法人VIETTOMを任されたチャン・ベト・フンさん
現地の実質的な運営を任されたチャン・ベト・フンさん(34)はダナン工科大で機械工学を専攻した後、トムラスで現場経験を重ねてきた。いつかはベトナムに帰り、機械工場の社長になりたいと思って勉強を続けてきたという。フンさんは「今後は日本で5年以上現場経験を積んだ後輩をベトナム工場で受け入れていきたい」と話す。
■大手人材会社も課題認識
少子化で労働力の確保がますます困難になっていく日本と、若い成長市場ながらも裾野産業の不在で工業製品が育っていないベトナム。ベトナムの若者に日本語教育や生活マナーを教え、技術者や技能実習生を日本に送り出している「エスハイ」のレ・ロン・ソン社長は「裾野産業という観点からみれば日本の技術力はまだ世界でトップクラスだ」と評価し、「技術と人材育成こそが両国の協力分野の核心だ」と強調する。チュンさんやフンさんはいずれもソン社長の教え子で、日本語だけでなく、日本人の心、日本の競争力を支える「町工場」の底力などをたたき込まれてきた。
日本で実習を終えた技術者や技能実習生が帰国後に職に付き、キャリアアップを目指せる仕組みづくりの必要性は、総合人材サービス大手のパソナなど複数の日系企業も課題として捉え始めている。
パソナテックベトナムの古谷誠一社長は「帰国後に就職が難しいといわれるベトナム人の技能実習生には、日本でのスキルの習得を促し、帰国後10~15年くらいまでのキャリアプランが描ける状態にしてあげることが重要だ」と指摘した。(終わり)
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[caption id="attachment_16064" align="aligncenter" width="620"]奥富製作所から事業承継を受けるグエン・ゴック・チュンさん(左)と弟のヒエウさん(中)、ズンさん(右)。3人とも日本で技術を学び、今はホーチミン市クチ郡でそれぞれ会社を経営する。[/caption]
南部ホーチミン市中心部から車で約1時間、同市クチ郡フックビンアン村にある金属部品メーカー「ON精密加工」。社長として約20人の従業員を率いるグエン・ゴック・チュンさん(43)は「ようやくベトナムに進出している日系企業から直接の注文が入るようになってきた」と表情を緩めた。
工場で製造しているのは、デジタルカメラやスマートフォン、車載用電子機器などに使われる小型部品だ。仕様は発注メーカーの設計図ごとに変わる。小さい部品は1~2ミリメートルほどで、0コンマ数ミリの誤差も許されない。2008年の会社設立後は日本の親会社である東京・奥多摩町の精密部品メーカー、奥富製作所が注文を受け、ベトナムで製造・加工した部品を送り返し、同社で規格外れの不良品などをはじいてから、中国の日系メーカーなどに供給していた。[caption id="attachment_16065" align="aligncenter" width="620"]奥富製作所の奥富孝二社長(右)と、ベトナム人への日本語教育を続けるエスハイのレ・ロン・ソン社長(東京都内で)[/caption]
ON精密加工にある自動旋盤などの機械約50台は、会社設立時にすべて奥富製作所から運び込んだ。同社からON精密加工に事業承継するための「現物出資」として、奥富製作所の奥富孝二社長(75)が引き渡した。
奥富社長は「機械をある程度の値段で処分し、あっさり引退してしまっても生活には困らなかった」と語る。しかし、40年以上磨き上げてきた技術を終わらせてしまうことは簡単にできなかった。「ベトナムに戻って、やりたい」。真剣な目を向けるチュンさんに任せることを決めた。
奥富社長は1980年代前半、30歳そこそこで大手機械メーカーの技術者を辞めて独立、腕時計用の部品加工から事業を広げ、最近は大手メーカー、ソニーのスマートフォン用部品などを手がけてきた。大手メーカー時代は機械の設計から関わった知識を見込まれ、米国シアトルで米企業向けのメンテナンスなどを担当していた経験もある。独立後、一から大手企業の信用を築き、50歳を過ぎたころから60歳で引退することを考えてきたが、日本人の後継者は見つからなかった。
そのころ、人手不足の補充で受け入れ始めたベトナム人技術者の2人目として、奥富製作所で働いていたのがチュンさんだった。「日本語はほとんどできないが、やる気はある」。奥冨社長は口数の少ないチュンさんをそう見込んだ。日本の裾野産業で現場の技術を学びたいと3年間の期限付きで日本に来たまだ20代前半の青年だった。
言葉が分からなければ何も伝えられない。奥富社長はチュンさんに毎朝、仕事前に2時間ほど日本語を教えた。週末の休日は「機械を勉強させてほしい」と頭を下げるチュンさんの熱意に押され、工場で旋盤などの機械をばらして構造を伝えてきた。チュンさんはベトナムの大学で機械を専攻しただけあって、3年間で何とか機械を動かせるようになった。
■止まらぬ不良品、即赤字
ただ、精密部品は3年程度の実習で身につく世界ではない。部品の単価は1個数円でも、納入先から規格外の不良品が1個でも見つかれば、数万、数十万個の部品がすべて返品されるか、全量を検査し直す必要がある。「あっという間に赤字が膨らむ」のが下請けの弱い立場だ。絶えず変わる材料の温度、工作機械と刃物の状態、工場内の衛生状況まで目配りし、機械のわずかな異音に気を配ることは、機械の知識を超えた経験と慎重さが必要になる。
ON精密加工では今でも時折不良品が出て、定期的に訪れる奥富社長のカミナリが落ちる。使っている機械はすべて日本から持ってきた。「違うのは電気と人間だけ」なのに、ベトナムではまだまだ不良品が多く、黒字にはほど遠い。奥富社長はチュンさんの「社長」としての仕事ぶりを「甘く見ても60点だ」と厳しい。
■苦節10年、現地工場の責任者に
日本で働くベトナム人労働者のほとんどは技能実習生や特定技能の在留資格で数年間日本に滞在して帰国するが、中には大学で機械工学などを学んだあと、「技術者」の資格で日本で働くベトナム人も少なくない。ベトナム人は元々手先が器用とされるだけに、金型・部品加工などの製造業では積極的に受け入れる中小企業が多い。
福岡県岡垣町で精密部品などを製造するトムラスは今年5月、ベトナム南部ドンナイ省にベトナム工場「VIETTOM」を設立した。
長年、福岡の工場でベトナム人技術者や技能実習生を労働者として受け入れてきたが、機械の運転・管理だけでなく、工場内やトイレの清掃まで厳しく指導される職場環境になじめないベトナム人技術者も多く、「長続きしなかった」と戸村竜平社長は話す。
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南部の新国際空港として建設が進むロンタイン空港近くの工場は、きれいに清掃され、工作機械が整然と並ぶ。戸村社長は「ベトナムでも人件費は上がっており、簡単に人は雇えなくなる。3年で日本と同じ給与水準にするため、品質も同等にする」とげきを飛ばす。[caption id="attachment_16066" align="aligncenter" width="620"]トムラスのベトナム法人VIETTOMを任されたチャン・ベト・フンさん[/caption]
現地の実質的な運営を任されたチャン・ベト・フンさん(34)はダナン工科大で機械工学を専攻した後、トムラスで現場経験を重ねてきた。いつかはベトナムに帰り、機械工場の社長になりたいと思って勉強を続けてきたという。フンさんは「今後は日本で5年以上現場経験を積んだ後輩をベトナム工場で受け入れていきたい」と話す。
■大手人材会社も課題認識
少子化で労働力の確保がますます困難になっていく日本と、若い成長市場ながらも裾野産業の不在で工業製品が育っていないベトナム。ベトナムの若者に日本語教育や生活マナーを教え、技術者や技能実習生を日本に送り出している「エスハイ」のレ・ロン・ソン社長は「裾野産業という観点からみれば日本の技術力はまだ世界でトップクラスだ」と評価し、「技術と人材育成こそが両国の協力分野の核心だ」と強調する。チュンさんやフンさんはいずれもソン社長の教え子で、日本語だけでなく、日本人の心、日本の競争力を支える「町工場」の底力などをたたき込まれてきた。
日本で実習を終えた技術者や技能実習生が帰国後に職に付き、キャリアアップを目指せる仕組みづくりの必要性は、総合人材サービス大手のパソナなど複数の日系企業も課題として捉え始めている。
パソナテックベトナムの古谷誠一社長は「帰国後に就職が難しいといわれるベトナム人の技能実習生には、日本でのスキルの習得を促し、帰国後10~15年くらいまでのキャリアプランが描ける状態にしてあげることが重要だ」と指摘した。(終わり)"
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