「世界の80~89%の人々は自国の政府により強力な気候変動対策を求めている」。複数の世界的な調査結果が示した数字だ。しかし、多くの人は自らを少数派だと考え、行動を起こさないという「認識のずれ」が指摘されている。こうした中、11月10日からブラジルで国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)が開かれるのを前に、世界のメディアが「数字の裏側」にいる人々に焦点を当てる「89パーセントプロジェクト」を展開している。NNAは2回に分けて、タイの起業家2人の活動を追う。【京正裕之】
異なる有機肥料を使って育てたトウモロコシ畑で最も生育の良い畝に立つ、リビング・ルーツの共同創業者アビ・アガルワルさん=10月17日、タイ・チェンマイ県(NNA撮影)
タイ北部のチェンマイ空港から車で1時間。山岳地帯にある実験型農園「リビング・ルーツ・ファーム」に到着した。出迎えてくれたのは、この農園を手がける農業スタートアップ企業リビング・ルーツの共同創業者アビ・アガルワルさん(31)だ。
リビング・ルーツは微生物由来の肥料を研究・開発し、土壌を再生させながら作物を育てる「再生型農業」を実践している。
「タイの農家は近年、不安定な降雨や土壌の劣化、化学肥料のコスト高に苦しんでいる。だから私たちは自主開発した有機肥料を使い、土の水分を保持するための土壌炭素量を増やし、作物の養分吸収を高める取り組みをしている。干ばつや高温への耐性も向上させようとしている」
アガルワルさんは、米ニューヨークの大学で人工知能(AI)やコンピューターサイエンスを学び、現地でエンジニアとして働いた。だが、20代で慢性的な健康の問題を抱え、食と健康のつながりを考えるようになった。新型コロナウイルス禍の2020年にタイへ戻り、独学で農業を学びながら、出身地の首都バンコクからチェンマイへ移り住んだ。そして、リビング・ルーツを立ち上げた。
「若いのになぜ健康に問題があるのか。その理由を探り始め、食について掘り下げるうちに情熱が高まっていった。エンジニアリングと農業は似ている。ソフトウエアを開発するには多くのシステムを理解する必要があり、農業は作物の生産や肥料、生態系といった複雑なシステムで成り立っているからだ」
リビング・ルーツ・ファームの面積は約20エーカー(約8.1ヘクタール)。農園を訪れた10月中旬はサトウキビやトウモロコシ、オクラ、パイナップル、キャッサバ、大豆など15種類ほどの作物を実験的に育てていた。
リビング・ルーツの実験型農園「リビング・ルーツ・ファーム」では常時15種類ほどの作物を育てている=10月17日、タイ・チェンマイ県(NNA撮影)
アガルワルさんの案内で農園を歩くと、トウモロコシ畑に目がとまった。複数ある畝によって作物の背丈が明らかに違う。
「生育に差があるのは、畝ごとに肥料を変えたり、そもそも使わなかったり、いろいろ試しているからなんだ」
この差を科学的に分析するため、アガルワルさんたちは土壌の状態、植物の樹液、糖度などを測定してデータを収集している。そして、約100種類あるという土着の微生物から最適な組み合わせを探し、各作物の生育を促進させる肥料を作っている。
「結果がすごく分かりやすく出る時もあれば、時間がかかる時もある」
■失敗重ね、3種類を商品化
実験型農園というだけあって、全てが順調だったわけではない。
「最初の年は有機野菜を育てて失敗した。理論上は簡単そうでも、やってみると難しい。2~3年目も失敗を重ね、試行錯誤の末に土壌改良に着手したことで成果が出てきた」
これまでにアガルワルさんたちは大きく3種類の肥料を商品化した。
リビング・ルーツが商品化した「グリーンブースト」の容器を手に持つ農家(リビング・ルーツ提供)
1つ目が「グリーンブースト」と呼ぶ微生物由来の液体肥料だ。作物の葉緑素を増やして光合成を促進する作用がある。栽培期間に2~3回まくと、収量が稲で20~25%、トウモロコシで15~20%増えるという実験結果が出ている。
国連食糧農業機関(FAO)によると、タイのコメの収穫量は23年が3,307万トンで世界6位、収穫面積は同4位。だが、1ヘクタール当たりの生産量は3.0トンと、生産量トップ10の国の中で最低だ。その理由は、かんがい設備の整備が十分でなく雨に頼る栽培をしたり、収量が低いとされる香り米の栽培が盛んだったりとさまざまだが、改善の余地がある。
グリーンブーストの費用は水田1ライ(0.16ヘクタール)当たり250バーツ(約1,170円)。収量の向上により1ライ当たり1,500~2,500バーツの収益増加が見込める。

2つ目が、「リビング・ルーツ・シードスタート」という微生物と栄養素を含んだ粉末状の肥料だ。種に粉をまぶしてから植えると発芽率が高まるという。もみ米なら1キログラム当たり5グラムを混ぜるだけで済む。病害への抵抗力も持続するため、天候不順などへの適応力が向上することも期待される。
3つ目が「アクティベート」と名付けられた、作物の残渣(ざんさ)を分解する粉末状の製品。収穫後の稲わらやトウモロコシの茎などにまくと、微生物が3週間程度で残渣を分解する。これにより土壌も再生・改良される。
「シードスタート」でコーティングしたもみ米(写真左)と通常のもみ米(リビング・ルーツ提供)
■どんな気候になっても食料生産
タイ天然資源・環境省の気候変動・環境局(DCCE)が公表した22年のタイの温室効果ガス排出量(土地利用・土地利用変化と林業=LULUCF=除く)は約3億8,600万トンで、農業部門は全体の18%を占める。
農業部門では稲作が49%と最も多い。その理由は、水田から温室効果の高いメタンガスが排出されるためだ。農業部門の排出減対策としては、グリーンブーストで作物の光合成を促進して二酸化炭素(CO2)吸収量を高め、シードスタートを使って根を健全に保つことで土中に固定する炭素量を増やす方法がある。これにより、1ライ当たりの作物の年間CO2吸収量は1.80~2.38トン増えるという。

また、タイに限らず東南アジアでは、残渣の手軽な処理方法として野焼きが定着しているが、それをする必要もなくなる。野焼きは、CO2を排出するだけでなく、越境ヘイズ(煙害)を引き起こす。さらに土中の微生物も焼失し、土壌が劣化するという悪循環も生んできた。こうした問題も、アクティベートで残渣を分解すれば解決につながる。
「私たちの気候変動対策は、被害を回避・軽減する『適応』に重点を置いている。どんな気候になっても食料生産を継続できるようにしたい」
リビング・ルーツは農業資材を扱う企業に製品を卸しており、少なくとも500軒の農家が使っている。市場は海外にも広げている。カンボジアで販売しているほか、インドネシアへの出荷準備をしている。半年以内にインドへの展開も計画している。活動資金としては、投資家ネットワーク「エピック・エンジェル」から出資を受けている。
「気候変動だけでなく、農家の高齢化も懸念している。しかし、私たちが今後10年で農家の所得や収益性を改善できれば、若い人たちが農業に戻ってくると思っている。たった1粒のもみ米から1,000粒近いコメが収穫できる。こんな楽しいことはないのだから」
本記事は「Covering Climate Now」による「89パーセントプロジェクト」の一環として配信しています
<用語解説>
「89パーセントプロジェクト」:気候変動問題に取り組むジャーナリスト組織「Covering Climate Now(CCNow)」が主導するメディアキャンペーン。自国の政府により強力な気候変動対策を求めている人の割合は80%台に上るが、自らを少数派と認識して行動を起こさない「認識のずれ」を解消するため、「数字の裏側」にいる人々に焦点を当てている。
科学誌『ネイチャー・クライメート・チェンジ』に24年に掲載された論文によると、125カ国の約13万人を対象に実施した調査で、自国政府に気候変動対策を求める割合は89%に達していた。しかし、多くの人は周囲が気候行動に積極的ではないと誤解をしていると、同論文は指摘している。
国連開発計画(UNDP)と英オックスフォード大学が主導し、77カ国・地域の約7万4,000人に実施した気候意識調査「ピープルズ・クライメート・ボート2024」でも、「あなたの国は気候変動への取り組みを強めるべきか、弱めるべきか」との設問で、80%の人が「強めるべき」と回答した。
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タイ北部のチェンマイ空港から車で1時間。山岳地帯にある実験型農園「リビング・ルーツ・ファーム」に到着した。出迎えてくれたのは、この農園を手がける農業スタートアップ企業リビング・ルーツの共同創業者アビ・アガルワルさん(31)だ。
リビング・ルーツは微生物由来の肥料を研究・開発し、土壌を再生させながら作物を育てる「再生型農業」を実践している。
「タイの農家は近年、不安定な降雨や土壌の劣化、化学肥料のコスト高に苦しんでいる。だから私たちは自主開発した有機肥料を使い、土の水分を保持するための土壌炭素量を増やし、作物の養分吸収を高める取り組みをしている。干ばつや高温への耐性も向上させようとしている」
アガルワルさんは、米ニューヨークの大学で人工知能(AI)やコンピューターサイエンスを学び、現地でエンジニアとして働いた。だが、20代で慢性的な健康の問題を抱え、食と健康のつながりを考えるようになった。新型コロナウイルス禍の2020年にタイへ戻り、独学で農業を学びながら、出身地の首都バンコクからチェンマイへ移り住んだ。そして、リビング・ルーツを立ち上げた。
「若いのになぜ健康に問題があるのか。その理由を探り始め、食について掘り下げるうちに情熱が高まっていった。エンジニアリングと農業は似ている。ソフトウエアを開発するには多くのシステムを理解する必要があり、農業は作物の生産や肥料、生態系といった複雑なシステムで成り立っているからだ」
リビング・ルーツ・ファームの面積は約20エーカー(約8.1ヘクタール)。農園を訪れた10月中旬はサトウキビやトウモロコシ、オクラ、パイナップル、キャッサバ、大豆など15種類ほどの作物を実験的に育てていた。
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リビング・ルーツの実験型農園「リビング・ルーツ・ファーム」では常時15種類ほどの作物を育てている=10月17日、タイ・チェンマイ県(NNA撮影)[/caption]
アガルワルさんの案内で農園を歩くと、トウモロコシ畑に目がとまった。複数ある畝によって作物の背丈が明らかに違う。
「生育に差があるのは、畝ごとに肥料を変えたり、そもそも使わなかったり、いろいろ試しているからなんだ」
この差を科学的に分析するため、アガルワルさんたちは土壌の状態、植物の樹液、糖度などを測定してデータを収集している。そして、約100種類あるという土着の微生物から最適な組み合わせを探し、各作物の生育を促進させる肥料を作っている。
「結果がすごく分かりやすく出る時もあれば、時間がかかる時もある」
■失敗重ね、3種類を商品化
実験型農園というだけあって、全てが順調だったわけではない。
「最初の年は有機野菜を育てて失敗した。理論上は簡単そうでも、やってみると難しい。2~3年目も失敗を重ね、試行錯誤の末に土壌改良に着手したことで成果が出てきた」
これまでにアガルワルさんたちは大きく3種類の肥料を商品化した。
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国連食糧農業機関(FAO)によると、タイのコメの収穫量は23年が3,307万トンで世界6位、収穫面積は同4位。だが、1ヘクタール当たりの生産量は3.0トンと、生産量トップ10の国の中で最低だ。その理由は、かんがい設備の整備が十分でなく雨に頼る栽培をしたり、収量が低いとされる香り米の栽培が盛んだったりとさまざまだが、改善の余地がある。
グリーンブーストの費用は水田1ライ(0.16ヘクタール)当たり250バーツ(約1,170円)。収量の向上により1ライ当たり1,500~2,500バーツの収益増加が見込める。

2つ目が、「リビング・ルーツ・シードスタート」という微生物と栄養素を含んだ粉末状の肥料だ。種に粉をまぶしてから植えると発芽率が高まるという。もみ米なら1キログラム当たり5グラムを混ぜるだけで済む。病害への抵抗力も持続するため、天候不順などへの適応力が向上することも期待される。
3つ目が「アクティベート」と名付けられた、作物の残渣(ざんさ)を分解する粉末状の製品。収穫後の稲わらやトウモロコシの茎などにまくと、微生物が3週間程度で残渣を分解する。これにより土壌も再生・改良される。
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■どんな気候になっても食料生産
タイ天然資源・環境省の気候変動・環境局(DCCE)が公表した22年のタイの温室効果ガス排出量(土地利用・土地利用変化と林業=LULUCF=除く)は約3億8,600万トンで、農業部門は全体の18%を占める。
農業部門では稲作が49%と最も多い。その理由は、水田から温室効果の高いメタンガスが排出されるためだ。農業部門の排出減対策としては、グリーンブーストで作物の光合成を促進して二酸化炭素(CO2)吸収量を高め、シードスタートを使って根を健全に保つことで土中に固定する炭素量を増やす方法がある。これにより、1ライ当たりの作物の年間CO2吸収量は1.80~2.38トン増えるという。

また、タイに限らず東南アジアでは、残渣の手軽な処理方法として野焼きが定着しているが、それをする必要もなくなる。野焼きは、CO2を排出するだけでなく、越境ヘイズ(煙害)を引き起こす。さらに土中の微生物も焼失し、土壌が劣化するという悪循環も生んできた。こうした問題も、アクティベートで残渣を分解すれば解決につながる。
「私たちの気候変動対策は、被害を回避・軽減する『適応』に重点を置いている。どんな気候になっても食料生産を継続できるようにしたい」
リビング・ルーツは農業資材を扱う企業に製品を卸しており、少なくとも500軒の農家が使っている。市場は海外にも広げている。カンボジアで販売しているほか、インドネシアへの出荷準備をしている。半年以内にインドへの展開も計画している。活動資金としては、投資家ネットワーク「エピック・エンジェル」から出資を受けている。
「気候変動だけでなく、農家の高齢化も懸念している。しかし、私たちが今後10年で農家の所得や収益性を改善できれば、若い人たちが農業に戻ってくると思っている。たった1粒のもみ米から1,000粒近いコメが収穫できる。こんな楽しいことはないのだから」
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「89パーセントプロジェクト」:気候変動問題に取り組むジャーナリスト組織「Covering Climate Now(CCNow)」が主導するメディアキャンペーン。自国の政府により強力な気候変動対策を求めている人の割合は80%台に上るが、自らを少数派と認識して行動を起こさない「認識のずれ」を解消するため、「数字の裏側」にいる人々に焦点を当てている。
科学誌『ネイチャー・クライメート・チェンジ』に24年に掲載された論文によると、125カ国の約13万人を対象に実施した調査で、自国政府に気候変動対策を求める割合は89%に達していた。しかし、多くの人は周囲が気候行動に積極的ではないと誤解をしていると、同論文は指摘している。
国連開発計画(UNDP)と英オックスフォード大学が主導し、77カ国・地域の約7万4,000人に実施した気候意識調査「ピープルズ・クライメート・ボート2024」でも、「あなたの国は気候変動への取り組みを強めるべきか、弱めるべきか」との設問で、80%の人が「強めるべき」と回答した。"
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