インドの下院(定数545)総選挙で議席過半数を獲得したインド人民党(BJP)を軸とする与党連合は5日、BJP率いるモディ氏を指導者に選出した。モディ氏は9日にも首相就任宣誓式に臨む見通し。新政権発足に当たって、防衛大学校の伊藤融教授は「連立を組む各党との調整は一筋縄ではいかない」とみる。また、今回の総選挙で議席数を大きく伸ばした野党陣営への鞍替えの可能性も残っているという。今後の争点を聞いた。
——モディ首相率いるBJPは240議席にとどまり、単独過半数(272議席)に届かなかった。BJPを軸とする与党連合、国民民主連合(NDA)では過半数を維持したものの、前回(19年)から60議席以上減った。どう受け止めているのか。
モディ政権の「大勝」は厳しいとみていた。背景には、市民の生活困窮とモディ首相の強硬な政権運営がある。総選挙直前にインドのシンクタンク、CSDSが実施した世論調査で、市民の5割が「雇用」や「物価」などを重要事項に挙げ、生活への不安が浮き彫りとなった。一方、総選挙前に野党連合の有力な指導者が逮捕されたり、最大野党の指導者の口座が凍結されたりし、モディ政権は反対派を抑圧した。(英国からの独立後)70年以上も自由や民主主義を享受してきた国民にとって反対票を投じる動機付けになったのではないか。
実際、モディ氏の得票率(選挙区:北部ウッタルプラデシュ州バラナシ)は19年の63.6%から54.2%に低下した。
——4日に開票され、モディ首相は同日夜にBJP本部で「勝利宣言」した。5日は与党連合の指導者らが全会一致でモディ氏を指導者に選出した。新政権発足に向け、どのような展開が予想されるのか。
モディ首相は4日夜、総選挙の開票を受け、BJP本部で演説し、「与党連合が勝利し、政権を握る」と述べた。今後、連立を組む地域政党や小政党と調整を図りながら新政権を発足することになる。ただ、モディ氏は西部グジャラート州の州首相時代からこれまで、トップダウン型の政権運営しか経験したことがない。BJPが単独で過半数を維持していた1期目、2期目とは異なり、調整は一筋縄ではいかないだろう。
——民意を念頭に、同党が理念に掲げるヒンズー至上主義が多少修正される可能性はあるのか。
総選挙の結果を受け、誰が得をし、誰が損をしたのかをまず検証する。先に損をしたのは、モディ政権と親密だったインドの大手財閥や富裕層、モディ氏を「神格化」していたナショナリストなどだろう。誰が得をしたかでは、野党やリベラル派、社会から取り残された人々、ナショナリズムの傾斜に歯止めをかけたい先進国、そしてBJPの支持母体、民族義勇団(RSS)ではないか。RSSは、独自にナショナリズムを推進するモディ氏と軋轢(あつれき)が生じており、(従来の)ヒンズー教を中心とした政治思想に回帰し、忠実な路線を目指す動きが強まることは想定される。
——BJPは、与党連合を組む政党を束ねていけるのか。
南部アンドラプラデシュ州議会で与党のテルグ・デサム党(TDP)、東部ビハール州の地域政党ジャナタ・ダル統一派(JD—U)が主要パートナーとなる。総選挙ではそれぞれ16議席、12議席を獲得した。今後、JD—Uの動きには注視すべきだ。JD—Uを率いるニティシュ・クマール州首相は今年2月に野党連合、インド国家開発包括同盟(INDIA)を離脱し、BJPへの復帰を決めた。過半数を割り込んだBJPに揺さぶりをかけ、ビハール州に対する厚遇を引き出すことが考えられる。モディ政権が1~2期目に取り組んだ土地収用法や労働法制は、BJPが単独過半数を維持しても施行に至らなかったことも踏まえると、これまでのような強権的な政治手法は取りづらくなるだろう。
——昨年度の実質国内総生産(GDP)は前年度比8.2%増だった。本年度は7.0%増が予想され、高成長を維持する見通しだ。好調な国内経済が得票に結び付かなかったのはなぜか。
経済成長とかい離する実体経済に不満がつのった。若者の失業率(国際労働機関=ILO)は22年に12.4%と00年(5.7%)から2倍近く悪化している。昨年12月には、47年にインド経済を30兆ルピー(約56兆円)規模に引き上げる「ビクシット・バーラト」を打ち上げ「世界の大国」を約束するが、国内でナショナリズムへの傾斜を強めていくなど、ちぐはぐな状況が目立つ。「経済」と「ナショナリズム」の二兎を追う者は一兎をも得ず、で低所得層からも、高所得層からも経済不信、政治不信が強まったのではないか。
——米国では11月に大統領選挙が行われる。トランプ氏(共和党)が勝利した場合、対インド政策はどのように変化するのか。
バイデン氏(民主党)とトランプ氏はそれぞれインドに求めるものが異なる。バイデン氏は人権などの「価値」、トランプ氏は取引による「利益」だ。(モディ氏が引き続き推進するとみられる)インドのナショナリズムは、民主党にとって反発の対象となり得るが、共和党にとっては摩擦になりにくい。米国の外交戦略の上で超党派合意できているのは、安全保障にかかわる対中戦略だ。(聞き手=久保亮子)
<プロフィル>
防衛大学校教授の伊藤融氏(同氏提供)
伊藤融(いとう・とおる)69年生まれ。防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、広島大学博士(学術)。在インド日本大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授などを経て09年より防衛大学校に勤務。21年4月より現職。「新興大国インドの行動原理—独自リアリズム外交のゆくえ」(慶應義塾大学出版会、20年)、「インドの正体—『未来の大国』の虚と実」(中公新書ラクレ、23年)など、インドを中心とした国際関係、安全保障問題に関わる著書が多数ある。
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——モディ首相率いるBJPは240議席にとどまり、単独過半数(272議席)に届かなかった。BJPを軸とする与党連合、国民民主連合(NDA)では過半数を維持したものの、前回(19年)から60議席以上減った。どう受け止めているのか。
モディ政権の「大勝」は厳しいとみていた。背景には、市民の生活困窮とモディ首相の強硬な政権運営がある。総選挙直前にインドのシンクタンク、CSDSが実施した世論調査で、市民の5割が「雇用」や「物価」などを重要事項に挙げ、生活への不安が浮き彫りとなった。一方、総選挙前に野党連合の有力な指導者が逮捕されたり、最大野党の指導者の口座が凍結されたりし、モディ政権は反対派を抑圧した。(英国からの独立後)70年以上も自由や民主主義を享受してきた国民にとって反対票を投じる動機付けになったのではないか。
実際、モディ氏の得票率(選挙区:北部ウッタルプラデシュ州バラナシ)は19年の63.6%から54.2%に低下した。
——4日に開票され、モディ首相は同日夜にBJP本部で「勝利宣言」した。5日は与党連合の指導者らが全会一致でモディ氏を指導者に選出した。新政権発足に向け、どのような展開が予想されるのか。
モディ首相は4日夜、総選挙の開票を受け、BJP本部で演説し、「与党連合が勝利し、政権を握る」と述べた。今後、連立を組む地域政党や小政党と調整を図りながら新政権を発足することになる。ただ、モディ氏は西部グジャラート州の州首相時代からこれまで、トップダウン型の政権運営しか経験したことがない。BJPが単独で過半数を維持していた1期目、2期目とは異なり、調整は一筋縄ではいかないだろう。
——民意を念頭に、同党が理念に掲げるヒンズー至上主義が多少修正される可能性はあるのか。
総選挙の結果を受け、誰が得をし、誰が損をしたのかをまず検証する。先に損をしたのは、モディ政権と親密だったインドの大手財閥や富裕層、モディ氏を「神格化」していたナショナリストなどだろう。誰が得をしたかでは、野党やリベラル派、社会から取り残された人々、ナショナリズムの傾斜に歯止めをかけたい先進国、そしてBJPの支持母体、民族義勇団(RSS)ではないか。RSSは、独自にナショナリズムを推進するモディ氏と軋轢(あつれき)が生じており、(従来の)ヒンズー教を中心とした政治思想に回帰し、忠実な路線を目指す動きが強まることは想定される。
——BJPは、与党連合を組む政党を束ねていけるのか。
南部アンドラプラデシュ州議会で与党のテルグ・デサム党(TDP)、東部ビハール州の地域政党ジャナタ・ダル統一派(JD—U)が主要パートナーとなる。総選挙ではそれぞれ16議席、12議席を獲得した。今後、JD—Uの動きには注視すべきだ。JD—Uを率いるニティシュ・クマール州首相は今年2月に野党連合、インド国家開発包括同盟(INDIA)を離脱し、BJPへの復帰を決めた。過半数を割り込んだBJPに揺さぶりをかけ、ビハール州に対する厚遇を引き出すことが考えられる。モディ政権が1~2期目に取り組んだ土地収用法や労働法制は、BJPが単独過半数を維持しても施行に至らなかったことも踏まえると、これまでのような強権的な政治手法は取りづらくなるだろう。
——昨年度の実質国内総生産(GDP)は前年度比8.2%増だった。本年度は7.0%増が予想され、高成長を維持する見通しだ。好調な国内経済が得票に結び付かなかったのはなぜか。
経済成長とかい離する実体経済に不満がつのった。若者の失業率(国際労働機関=ILO)は22年に12.4%と00年(5.7%)から2倍近く悪化している。昨年12月には、47年にインド経済を30兆ルピー(約56兆円)規模に引き上げる「ビクシット・バーラト」を打ち上げ「世界の大国」を約束するが、国内でナショナリズムへの傾斜を強めていくなど、ちぐはぐな状況が目立つ。「経済」と「ナショナリズム」の二兎を追う者は一兎をも得ず、で低所得層からも、高所得層からも経済不信、政治不信が強まったのではないか。
——米国では11月に大統領選挙が行われる。トランプ氏(共和党)が勝利した場合、対インド政策はどのように変化するのか。
バイデン氏(民主党)とトランプ氏はそれぞれインドに求めるものが異なる。バイデン氏は人権などの「価値」、トランプ氏は取引による「利益」だ。(モディ氏が引き続き推進するとみられる)インドのナショナリズムは、民主党にとって反発の対象となり得るが、共和党にとっては摩擦になりにくい。米国の外交戦略の上で超党派合意できているのは、安全保障にかかわる対中戦略だ。(聞き手=久保亮子)
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伊藤融(いとう・とおる)69年生まれ。防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授。中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、広島大学博士(学術)。在インド日本大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授などを経て09年より防衛大学校に勤務。21年4月より現職。「新興大国インドの行動原理—独自リアリズム外交のゆくえ」(慶應義塾大学出版会、20年)、「インドの正体—『未来の大国』の虚と実」(中公新書ラクレ、23年)など、インドを中心とした国際関係、安全保障問題に関わる著書が多数ある。"
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