今年1月、タイの首都バンコクでは大気中に浮遊する微小粒子状物質「PM2.5」などの大気汚染物質の量が過去最多を更新した。タイ政府も対策を講じているが、目に見える効果は上がっていない。そうした中、2022年からタイの大気汚染対策を支援する国際協力機構(JICA)専門家チームの試算で解明されたのは、単一的な対策では十分な削減効果が見込めないということだ。大気汚染対策では分野を超えた官民一体の、地域や国境も取り払った総力戦が求められる。
PM2.5の濃度が全50地区で政府の環境基準を超えた12日のバンコク(NNA撮影)
JICAはタイの天然資源環境省公害管理局(PCD)などと共に実施する技術協力事業「持続的なPM2.5予防・軽減のための大気管理プロジェクト」を22年に開始。大気環境モニタリング、気象衛星「ひまわり」を活用した野焼き・森林火災の状況把握、シミュレーションなどを通じて大気汚染の構造を解析し、得られたデータを対策に反映することで政策立案を支援してきた。JICAコンサルタントの檜枝俊輔氏はNNAに、「今年7月の事業完了を前に、大気汚染の原因や影響の解明は一区切りがついた。ここからは、解明結果を基に、実際に汚染物質を削減するフェーズに入る」と話す。それを担うのは、PCDをはじめとするタイの各省庁だ。
バンコクで過去最悪の汚染状態となった1月後半だが、これは気象条件などの構造的な問題によるところが大きい。バンコク周辺は地形的に盆地になっているため、乾期は空気が滞留しやすくなり、拡散が進まないため、降雨と風のない日が続くと汚染物質が蓄積するのだ。檜枝氏によると、年平均でのPM2.5の濃度自体は、過去約10年間で減少傾向にあるが、気象条件によって、このような状況が発生するという。
強風が吹いた今月9日には、バンコクのPM2.5の平均濃度は政府の環境基準(日平均値1立方メートル当たり37.5マイクログラム以下)まで低下した。しかし、汚染物質そのものの排出が抑えられたわけではないため、空気が滞留すれば再び悪化する。実際に、風が弱まった13日には再び5地区で一般人の健康に影響を及ぼすとされるレッドゾーン(75.0マイクログラム以上)、残りの45地区で敏感な人の健康に影響を及ぼすとされるオレンジゾーン(37.6~75.0マイクログラム)に達している。一時的な汚染状況にかかわらず、汚染物質の排出量自体を持続的に減らしていく取り組みが必要だ。 
■20のシナリオ
JICAプロジェクトでは24年上半期に、これまで収集した科学的データに基づき、主要な排出セクターである交通、農業、発電を含む工業における汚染物質の削減施策に対する20のシナリオを作成。どの施策が効果的かを検証するとともに、削減効果を評価した。具体的には、過去に汚染が深刻だった19年1月のケースにおいて、バンコクでPM2.5の日平均値が政府の環境基準を超過する日数の割合を計算した。
計算結果によると、「ユーロ4」以前のディーゼル車を「ユーロ6」規格に新しくすることで約10%、バンコク周辺のセメント工場や、ボイラーや炉を導入している工場で追加の汚染対策を行った場合は約5%の減少が見込まれる。タイ全土で野焼きを禁止した場合でも30%程度の削減で、単一の施策での効果は限定的だ。
しかし、20のシナリオのうち効果があるものを組み合わせることにより、54%の削減につながることが分かった。加えて、近隣国からの越境汚染の削減までを組み合わせれば、そこからさらに数十%程度削減できる可能性が高いという。
■多様な汚染物質に対処する
檜枝氏と同じくJICAコンサルタントである田畑亨氏は、「大気汚染そのものが時代とともに変質していっており、タイで求められる対策のレベルも上がっている」と指摘。PM2.5は発生の仕組みによって一次粒子(プライマリー)と二次粒子(セカンダリー)に分かれており、発生源ごとに対策方法が異なる。
タイのぺートンタン首相は19日、北部および西部の森林火災による大気汚染悪化を懸念して緊急会合を開いている(タイ国政府提供)
プライマリーはPM2.5として発生するもので、ディーゼル車やガソリン車の排ガス、石炭などの燃焼による煙、工場や発電所のばい煙、野焼きや森林火災で発生するすす、砂ぼこり、道路の摩耗粉じんなどがある。都市部の汚染物質の多くを占め、乾期に深刻化する。セカンダリーは気体の汚染物質(前駆物質)が大気中で化学反応を起こし、PM2.5として生成されるもので、乾期に割合が高くなる。前駆体には、燃料の燃焼で発生する硫黄酸化物(SOx)や自動車・工場・発電所などが発生源の窒素酸化物(NOx)、家畜のふん尿や肥料など農業由来のアンモニア(NH3)などがある。
汚染物質が1種類であればその原因をたたけばよいが、多岐にわたる場合はその対策の種類も増える。田畑氏は、「排出される大気汚染物質の総量を減らすような対策をしていかないとPM2.5は減らせない」と、多方面からの取り組みが不可欠であることを強調した。
■汚染物質削減のフェーズへ
こうした課題の解明が進み、JICAによる支援は今年7月に3年間の一区切りを迎える。持続的な大気汚染対策を導入するという最終的なゴールは、プロジェクト終了から2~3年後の達成を目指している。実際の政策立案はPCDが担うが、実行段階での障壁も多い。政策を実行可能にするためには、各省庁など関係機関との調整が必要となるのだ。
例えば、古いディーゼル車の入れ替えには運輸省との連携が不可欠だ。野焼きの禁止や代替技術の導入は農業組合省、工場の排出規制強化には工業省と協力しなければならない。バンコク都や北郊ノンタブリ県などは熱心に取り組んでいるが、自治体によって予算や対応に差があるのも問題だ。
さらに、近隣諸国からの越境汚染の課題には、外交の要素も関与する。どの国からどれだけの汚染物質が流れてくるのかなど、責任の所在が明確でない段階では、連携をとるにも慎重な対応が求められる。
■市民の規制は補助金とセットで
当然ながら、大気汚染物質の削減には市民の意識も大きな鍵になる。
タイの公立スアンドゥシット大学が10~14日に実施した調査によると、タイ国民の88.6%が大気汚染を「深刻な問題」として捉えている一方、現在の政府によるPM2.5対策に対しては73.4%が「効果的ではない」と考えている。また、「政府が取り組むべきPM2.5対策」については、54.5%が「大気浄化法(CAA)の施行促進」と回答した。
大気浄化法が施行されると、汚染物質の排出規制が強化され、市民の生活にも影響が及ぶ可能性が高い。檜枝氏はこうした規制について、「市民、特に農業従事者が受容可能な規制が必要」と指摘する。その上で、「日本がかつてディーゼル車を規制した時のように、十分な補助金とセットで考えていくべきだ」と、市民に寄り添った規制の必要性を強調した。大気浄化法は24年内に施行される見通しだったが、25日現在で最終法案の提出には至っていない。
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バンコクで過去最悪の汚染状態となった1月後半だが、これは気象条件などの構造的な問題によるところが大きい。バンコク周辺は地形的に盆地になっているため、乾期は空気が滞留しやすくなり、拡散が進まないため、降雨と風のない日が続くと汚染物質が蓄積するのだ。檜枝氏によると、年平均でのPM2.5の濃度自体は、過去約10年間で減少傾向にあるが、気象条件によって、このような状況が発生するという。
強風が吹いた今月9日には、バンコクのPM2.5の平均濃度は政府の環境基準(日平均値1立方メートル当たり37.5マイクログラム以下)まで低下した。しかし、汚染物質そのものの排出が抑えられたわけではないため、空気が滞留すれば再び悪化する。実際に、風が弱まった13日には再び5地区で一般人の健康に影響を及ぼすとされるレッドゾーン(75.0マイクログラム以上)、残りの45地区で敏感な人の健康に影響を及ぼすとされるオレンジゾーン(37.6~75.0マイクログラム)に達している。一時的な汚染状況にかかわらず、汚染物質の排出量自体を持続的に減らしていく取り組みが必要だ。 
■20のシナリオ
JICAプロジェクトでは24年上半期に、これまで収集した科学的データに基づき、主要な排出セクターである交通、農業、発電を含む工業における汚染物質の削減施策に対する20のシナリオを作成。どの施策が効果的かを検証するとともに、削減効果を評価した。具体的には、過去に汚染が深刻だった19年1月のケースにおいて、バンコクでPM2.5の日平均値が政府の環境基準を超過する日数の割合を計算した。
計算結果によると、「ユーロ4」以前のディーゼル車を「ユーロ6」規格に新しくすることで約10%、バンコク周辺のセメント工場や、ボイラーや炉を導入している工場で追加の汚染対策を行った場合は約5%の減少が見込まれる。タイ全土で野焼きを禁止した場合でも30%程度の削減で、単一の施策での効果は限定的だ。
しかし、20のシナリオのうち効果があるものを組み合わせることにより、54%の削減につながることが分かった。加えて、近隣国からの越境汚染の削減までを組み合わせれば、そこからさらに数十%程度削減できる可能性が高いという。
■多様な汚染物質に対処する
檜枝氏と同じくJICAコンサルタントである田畑亨氏は、「大気汚染そのものが時代とともに変質していっており、タイで求められる対策のレベルも上がっている」と指摘。PM2.5は発生の仕組みによって一次粒子(プライマリー)と二次粒子(セカンダリー)に分かれており、発生源ごとに対策方法が異なる。
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汚染物質が1種類であればその原因をたたけばよいが、多岐にわたる場合はその対策の種類も増える。田畑氏は、「排出される大気汚染物質の総量を減らすような対策をしていかないとPM2.5は減らせない」と、多方面からの取り組みが不可欠であることを強調した。
■汚染物質削減のフェーズへ
こうした課題の解明が進み、JICAによる支援は今年7月に3年間の一区切りを迎える。持続的な大気汚染対策を導入するという最終的なゴールは、プロジェクト終了から2~3年後の達成を目指している。実際の政策立案はPCDが担うが、実行段階での障壁も多い。政策を実行可能にするためには、各省庁など関係機関との調整が必要となるのだ。
例えば、古いディーゼル車の入れ替えには運輸省との連携が不可欠だ。野焼きの禁止や代替技術の導入は農業組合省、工場の排出規制強化には工業省と協力しなければならない。バンコク都や北郊ノンタブリ県などは熱心に取り組んでいるが、自治体によって予算や対応に差があるのも問題だ。
さらに、近隣諸国からの越境汚染の課題には、外交の要素も関与する。どの国からどれだけの汚染物質が流れてくるのかなど、責任の所在が明確でない段階では、連携をとるにも慎重な対応が求められる。
■市民の規制は補助金とセットで
当然ながら、大気汚染物質の削減には市民の意識も大きな鍵になる。
タイの公立スアンドゥシット大学が10~14日に実施した調査によると、タイ国民の88.6%が大気汚染を「深刻な問題」として捉えている一方、現在の政府によるPM2.5対策に対しては73.4%が「効果的ではない」と考えている。また、「政府が取り組むべきPM2.5対策」については、54.5%が「大気浄化法(CAA)の施行促進」と回答した。
大気浄化法が施行されると、汚染物質の排出規制が強化され、市民の生活にも影響が及ぶ可能性が高い。檜枝氏はこうした規制について、「市民、特に農業従事者が受容可能な規制が必要」と指摘する。その上で、「日本がかつてディーゼル車を規制した時のように、十分な補助金とセットで考えていくべきだ」と、市民に寄り添った規制の必要性を強調した。大気浄化法は24年内に施行される見通しだったが、25日現在で最終法案の提出には至っていない。"
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