第1章 アジア独立開業の先駆者たち(1990年~1999年)
2) 発展前夜の上海に乗り込み、
……中国全土、そしてアジアへネットワークを広げる
……マイツグループCEO 池田博義
■プロフィール
マイツグループCEO
池田博義
1948年京都市生まれ。1971年、同支社大学経済学部卒、同年公認会計士2次試験合格。
1975年、公認会計士資格取得と同時に池田公認会計士事務所を開設。1987年、株式会社マイツを設立。1994年、上海邁伊茲諮詢有限公司設立、董事長就任。その後、中国各地はもとより、アジア、北米へとネットワークを広げている。
■1993年、生きる原点を感じて上海進出を決意
窓ガラスのないボロボロのトロリーバスが乗客をすし詰めにしてよたよたと走っていく。車道に乗用車は少なく、トラックと業務用のバン、古びたタクシー、そして自転車ばかり。デコボコの歩道には、野菜や果物を売る露店、見上げれば、くすんだ建物に電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
1993年9月、発展前夜の中国・上海に、池田博義は降り立った。今では19路線、総延長800キロに及ぶ地下鉄はまだ短い区間で試運転を始めたばかりで、1995年の正式開業の前だった。
「夜の8時には街は真っ暗でした。窓ガラスがなく、鉄格子のようになっているトロリーバスは、まるで囚人を運んでいるかのようでした。当時はラーメンが5角(約6円)、お弁当が1元(約12円)。今とはまったく違う世界でした」
池田が上海を訪れたのは、視察のためだった。すでに会計士仲間たちと欧米各国の会計士事務所の視察を経験していた。
「欧米を視察しても、『ここで挑戦したい!』と心が躍ることはありませんでした。ところが、中国は強烈でした。中国にはパワーというか、生きる原点を感じました。それまでは中国のことなんてまったく意識していませんでしたが、ぜひここで仕事をしたいと思ったのです」
池田は、会計士仲間たちに宣言した。「私、ここで仕事します」「お前、何考えているんだ?ここはまだ会計も何もないよ。こんな所に来て何するんだ?」
しかし、池田の決意は固かった。===以下略===
■100m走を10秒8で駆け抜け五輪代表候補に
■「かゆい所に手が届く作戦」で顧問先を拡大
■増値税の運用変更をきっかけに軌道に乗る
■2001年のWTO加盟で中国進出ラッシュ
■「中国・アジア進出支援機構」を設立
■30年で日中の流れは逆転へ
■コロナ禍がフォローの風に
■異なる文化を受け入れる度量が成功のカギ
新刊書籍「アジアで挑戦&活躍する日本の会計事務所」
著者 ブレインワークス
ISBN 978-4-7782-0518-8
未開のアジアの地を選んだ9人の会計人のストーリー。 1990年代から本格化する日本企業のアジア進出の“縁の下の力持ち”を担ってきた会計事務所の 足跡を追う1冊です。 アジア進出の変遷を辿ると共に、現地での苦悩とその先に見える希望の光。 先人達の紡いだ実績を振り返りながら、これからのアジア進出の未来を考察します。 アジア進出を検討する企業はもちろん、海外へ飛び込もうとする若き会計人も必見です!
object(WP_Post)#9817 (24) {
["ID"]=>
int(17919)
["post_author"]=>
string(1) "6"
["post_date"]=>
string(19) "2024-01-23 17:30:38"
["post_date_gmt"]=>
string(19) "2024-01-23 08:30:38"
["post_content"]=>
string(4390) "第1章 アジア独立開業の先駆者たち(1990年~1999年)
2) 発展前夜の上海に乗り込み、
……中国全土、そしてアジアへネットワークを広げる
……マイツグループCEO 池田博義
■プロフィール
マイツグループCEO
池田博義
1948年京都市生まれ。1971年、同支社大学経済学部卒、同年公認会計士2次試験合格。
1975年、公認会計士資格取得と同時に池田公認会計士事務所を開設。1987年、株式会社マイツを設立。1994年、上海邁伊茲諮詢有限公司設立、董事長就任。その後、中国各地はもとより、アジア、北米へとネットワークを広げている。
■1993年、生きる原点を感じて上海進出を決意
窓ガラスのないボロボロのトロリーバスが乗客をすし詰めにしてよたよたと走っていく。車道に乗用車は少なく、トラックと業務用のバン、古びたタクシー、そして自転車ばかり。デコボコの歩道には、野菜や果物を売る露店、見上げれば、くすんだ建物に電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
1993年9月、発展前夜の中国・上海に、池田博義は降り立った。今では19路線、総延長800キロに及ぶ地下鉄はまだ短い区間で試運転を始めたばかりで、1995年の正式開業の前だった。
「夜の8時には街は真っ暗でした。窓ガラスがなく、鉄格子のようになっているトロリーバスは、まるで囚人を運んでいるかのようでした。当時はラーメンが5角(約6円)、お弁当が1元(約12円)。今とはまったく違う世界でした」
池田が上海を訪れたのは、視察のためだった。すでに会計士仲間たちと欧米各国の会計士事務所の視察を経験していた。
「欧米を視察しても、『ここで挑戦したい!』と心が躍ることはありませんでした。ところが、中国は強烈でした。中国にはパワーというか、生きる原点を感じました。それまでは中国のことなんてまったく意識していませんでしたが、ぜひここで仕事をしたいと思ったのです」
池田は、会計士仲間たちに宣言した。「私、ここで仕事します」「お前、何考えているんだ?ここはまだ会計も何もないよ。こんな所に来て何するんだ?」
しかし、池田の決意は固かった。===以下略===
■100m走を10秒8で駆け抜け五輪代表候補に
■「かゆい所に手が届く作戦」で顧問先を拡大
■増値税の運用変更をきっかけに軌道に乗る
■2001年のWTO加盟で中国進出ラッシュ
■「中国・アジア進出支援機構」を設立
■30年で日中の流れは逆転へ
■コロナ禍がフォローの風に
■異なる文化を受け入れる度量が成功のカギ
新刊書籍「アジアで挑戦&活躍する日本の会計事務所」
著者 ブレインワークス
ISBN 978-4-7782-0518-8
未開のアジアの地を選んだ9人の会計人のストーリー。 1990年代から本格化する日本企業のアジア進出の“縁の下の力持ち”を担ってきた会計事務所の 足跡を追う1冊です。 アジア進出の変遷を辿ると共に、現地での苦悩とその先に見える希望の光。 先人達の紡いだ実績を振り返りながら、これからのアジア進出の未来を考察します。 アジア進出を検討する企業はもちろん、海外へ飛び込もうとする若き会計人も必見です!"
["post_title"]=>
string(148) "池田博義(マイツグループCEO) 発展前夜の上海に乗り込み、中国全土、そしてアジアへネットワークを広げる"
["post_excerpt"]=>
string(0) ""
["post_status"]=>
string(7) "publish"
["comment_status"]=>
string(4) "open"
["ping_status"]=>
string(4) "open"
["post_password"]=>
string(0) ""
["post_name"]=>
string(193) "%e6%b1%a0%e7%94%b0%e5%8d%9a%e7%be%a9%ef%bc%88%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%84%e3%82%b0%e3%83%ab%e3%83%bc%e3%83%97ceo%ef%bc%89-%e7%99%ba%e5%b1%95%e5%89%8d%e5%a4%9c%e3%81%ae%e4%b8%8a%e6%b5%b7%e3%81%ab"
["to_ping"]=>
string(0) ""
["pinged"]=>
string(0) ""
["post_modified"]=>
string(19) "2024-01-24 13:50:26"
["post_modified_gmt"]=>
string(19) "2024-01-24 04:50:26"
["post_content_filtered"]=>
string(0) ""
["post_parent"]=>
int(0)
["guid"]=>
string(34) "https://nnaglobalnavi.com/?p=17919"
["menu_order"]=>
int(0)
["post_type"]=>
string(4) "post"
["post_mime_type"]=>
string(0) ""
["comment_count"]=>
string(1) "0"
["filter"]=>
string(3) "raw"
}
- 国・地域別
-
グローバル情報中国情報日本情報
- 内容別
-
ビジネス全般生活全般進出設立